【ライブレポート】NGワードライフ
9月8日(木)から11日(日)まで天王洲銀河劇場にて、今田耕司×鈴木おさむのふたりがタッグを組んだ舞台『NGワードライフ』が行われました。
今田耕司が鈴木おさむと組んで行う芝居は今回で三作目。2008年に『尋常人間ZERO』、2009年及び2010年には『愛Pod』を披露し、いずれも大きな話題となりました。
第三作目となる今作は3月に公演される予定でしたが、東日本震災の影響を受け延期に。延期に伴い、出演者として新たに追加されたのはカラテカ入江。彼がどんなスパイスとなるのか、そこも注目と言えるでしょう。
物語を簡単に説明すると……
舞台は1981年の大阪。川本新喜劇の座長である大矢ケン太(今田耕司)は、世の中の漫才ブームを受け、新喜劇が昔のような人気を失ったことでクサクサしており、共演の女優に手を出す、悪い筋との交流など、誰も手がつけられないような状態になっていた。
しかし、そんなケン太も78年には新喜劇を誰よりも愛し、笑いを愛し、それまで受け継がれてきた新喜劇という伝統の中で新しい笑いを生み出そうとひたむきに打ち込む芸人だった。誰からも愛され、笑いに愛され、後輩からも憧れられていたケン太がたった三年でなぜこんなにも変わってしまったのか。
そんな中、81年の川本工業大阪グランドシアターの楽屋に、大きな声が取り柄の芸人・ボン平(宮川大輔)がいた。ボン平はケン太班の右腕だったのだが、肺がんを患い、余命いくばくもないため、その日を持って川本新喜劇を去ることになっていたのだ。
ボン平は決意する。「俺、変わって欲しいねん。昔の兄さんに戻ってもらいたいねん。だから今日、オレはケン太兄さんに敢えて言ってはいけないこと=NGワードを言う」とマネージャー(親族代表/野間口徹)や衣装見習い(拙者ムニエル/伊藤修子)に宣言するのだ。
しかし、ボン平には誰にも言っていない秘密があったのだ……。
最初から最後までブレることなく “芸人という世界”を熱く、切なく、密度濃く描いた作品である本作。全編を通して泣かせどころが多く、芸人たちが悩み、苦しみ、それでも笑いを愛する姿に胸を熱くせずにはいられませんでした。
そして、この作品が見る者の心をそんな風に力強く揺さぶったのは、芸人が“芸人”を演じることで生まれたリアリティなのではないかとも感じられました。
この作品では78年と81年のというふたつの時間軸が行ったり来たりします。ですから、笑いに打ち込んでいる78年当時のケン太と、何もかもに嫌気がさし、情熱を失った81年のケン太という真逆の状態を、今田耕司は瞬時に演じ分けているのです。どなり声をあげていたかと思えば、次の瞬間にはやさしい兄さんの顔に戻っている、その感情のスイッチの切り替えの器用さには驚かされました。
そして、先輩に対してNGワードを連発する、まっすぐな芸人ボン平を演じた宮川大輔。もとより演者としての評価が高いことは知っていましたが、ここまでとは! 完全に役に入りきって、芸人“ボン平”を熱演していました。
さらに、マネージャー中山を演じた野間口徹、新喜劇好きの衣装見習いとして紅一点の伊藤修子など、実力派の演劇人たちも脇をしっかりと固めています。
また、追加されたというカラテカ入江は“芸人を10年もやっているけれども、なかなか芽が出ずにそば屋でアルバイトをするトシ坊”を好演。物語終盤で彼がつぶやく「才能なかったら、(芸人を)続けてたダメなんですかね……」という台詞と演技には、不覚にも泣かされてしまいました。
上記のトシ坊の台詞のほか、今作では芸人の友情や挫折、葛藤などを見事に表わした、心に残る名台詞がたくさん登場しました。いくつか抜粋してお伝えすると……
「ツラくても続けていれば、イイものを作り続ければ誰かが見てます!」
――芸人を辞めようと思っているというケン太に対して、ボン平の台詞
「(客は)劇場に笑いを見に来てるんちゃう! あいつらはテレビで人気の漫才師を見に来てるだけや!」
――漫才ブームが沸いている中、新喜劇座長のケン太が言う台詞
「なんで見てくれへんねん。なんで俺らに背中向けて帰るねん!」
――漫才のネタが終わると新喜劇を見ずに帰ってしまう客が多いことを嘆いたケン太の台詞
「(芸人を)続けんのがいちばん難しい。でも、こいつはできてるんですよ」
「(兄さんは)どんだけスベってもやり続けるトシを見てたらツライんでしょ!」
――トシ坊に対して暴言を吐くケン太に対してボン平の台詞
「頑張っても、頑張っても、どうにもならんことがあるっていつ知った?」
――漫才ブームに押され、新喜劇を見るお客さんが減るのを見ていながら、どうしようもできずにいたケン太がやる気を失った理由を語る場面で
「あなたにとって親友とはなんですか?」
これは舞台のいちばん最初に、マネージャー役の野間口が観客に語りかける言葉なのですが、見終わったあと、この言葉が温かくなった心にじんわりと広がる、そんな余韻を感じさせる良質な作品であったと言えます。