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2013年4月23日 (火)

「吉本ナショナルDreams」が福島県と岩手県を走る!宮川大助・花子は岩手県大船渡市「復興応援特別大使」委嘱へ

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吉本きっての俊足ランナーたちが集結し、国内・国外を問わず数々のマラソン大会に出場、好成績を残している「吉本ナショナルDreams」が、4月29日(月・祝)に福島県郡山市ほかで行われる「第20回郡山シティーマラソン大会」に初参加! 6月9日(日)に岩手県北上市ほかで行われる「第9回いわて銀河100kmチャレンジマラソン」にも、3年連続で参加することが決定しました。また、チームを率いる宮川大助・花子は、東日本大震災発生直後から被災地の訪問や現地での漫才公演など復興活動を継続してきたことから、このたび岩手県大船渡市より「おおふなと復興特別大使」を委嘱されることに。4月23日(火)には記者会見が行われ、大助・花子と出場メンバーたちが出席、意気込みや活動への思いを語りました。

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花子は「震災がなければ、このチームも発足していなかったでしょう」と、まず一言。震災直後、交通手段もままならないなか、健脚自慢の若手芸人らに現地へ物資を運んでもらったところ、盛岡駅で「いわて銀河100kmチャレンジマラソン」のポスターを見かけ、花子のところへ連絡が。「絆をテーマにたすきをつなごうと、走れる人を募集。チームができたので、続けていこうと各大会に参加するようになったんです」と、これまでの経緯を改めて説明しました。結成当初からの変わらぬ目標は「RUN & LAUGH」。みんなが力を合わせ、走った各地にお笑いも持っていくという取り組みを進めてきました。全員、本業は芸人ながら「フルマラソンで3時間を切るランナーが3人もいる」(花子)という実力派。これまで出場した全大会で入賞し、周囲を驚かせてきました。今回、初出場となる「郡山シティーマラソン大会」については、「福島民報社の記者の方から取材を受けたとき、まだ福島の被災地には行けていなかったので、『復興への想い』を聞かれても答えられなかった。とはいえ受け入れ先がないとうかがうこともできないので、何かないかと探していたら、この大会があった。そこで、まずはマラソンで行って、その後に仮設住宅を回らせてもらえないかと申し出たんです」とのこと。大会翌日には、浪江町で復興支援として「宮川大助・花子ファミリーお笑い公演」も行う予定で、「こうした活動は、これからもずっと続けていきたい」と力を込めました。

大助は、「健康管理の意味で15、6回、ふたりでホノルルマラソンを走っていましたが、レース的にチームを作って走ったのは、2年前の『いわて銀河100kmチャレンジマラソン』が初めて」。大会翌日には「よしもとあおぞら花月」として花巻温泉のホテルで慰問公演も行いました。「でも、その時に行った場所は内陸だったので、住宅の倒壊や道が崩れていたりする場所はなかった。その後、7月2日に大船渡に行きましたが、バスから被災地を見て、思わず声が出ました。陸前高田では、もう言葉も出なかったほどで……」と、声を詰まらせる大助。その様子を見て、「とても1、2回で回れるものではない。よし、3年間は来よう」と心に決めたといいます。また、初めての『いわて銀河100kmチャレンジマラソン』では、どのように走ればいいのか悩んだ、とも。劇場の楽屋で募集をかけたところ、「翌朝早く、すぐに電話をくれたのがたむけん(たむらけんじ)で。ふんどしとサングラスで走ってくれ!と言いました。俺らは吉本やから、それでこそ皆さんが喜んでくれるんやと」。当日は、たむらがおなじみの衣装でトップランナーを務め、会場の雰囲気が一気にやわらいだそう。また、編み物が趣味の花子が現地のニットサークルの方々と協力し、大会で使用するたすきをすべて手編みで作成したというエピソードも。「そういった方たちともおつきあいが生まれ、だんだん『こういうところに来て』といった話もいただくようになった。みんな、手作りで走ってきたんです」と、これまでを振り返りました。

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続いて、大会に出場するメンバーたちからも意気込みの言葉が。「僕の最高タイムは7時間16分です」と笑わせたのは宮川隼人。「でも、やる気だけはいっぱいある。初めて参加した時、帰りに現地の皆さんから『来年も来てね』と言ってもらい、2年目に行くと『ホンマに来てくれると思わなかった』と喜んでいただいたのが僕の誇り」と、笑顔を見せました。宮川さゆみは「1回目は10kmで出て、女性で8位に入りました。女性の参加者は8人だったんですけど」と茶目っ気たっぷりに語ったのは宮川さゆみ。「行くたびにいろんな方と知り合いになり、『また来て』と楽しみにしてくださる」と、やりがいを感じています。十田と西手が揃って「サブスリー(フルマラソンを3時間を切るタイムで走ること)」という十手リンジンのふたりは、花子から「もうコンビ名をサブスリーに変えたら?」とツッコまれタジタジになりつつ、「僕らにできることは元気しかない。元気に走ります!」(十田)、「すべて全力で行く、それだけです!」(西手)と宣言。2年前、「交通機関がなくても走ります」と現地に物資を届けたランナーズ・小宮は、『いわて銀河100kmチャレンジマラソン』のポスターを見つけ、チーム結成のきっかけを作りました。「芸人は“腕”と言うが、ランナーズは足で勝てたら」と言えば、相方のがんばれゆうすけも「僕は走ることしかできない。素晴らしい機会をいただいたので、せいいっぱい走りたい」と決意を新たにしていました。

大助・花子の「おおふなと復興特別大使」委嘱についても、ここで発表。継続して被災地を回ってきたふたりが、中でも数多く訪れたのが岩手県大船渡市であることから、今回の大使委嘱が決まりました。6月10日に委嘱式が行われ、ふたりは第1号の大使となるそうです。花子は「ありがたくちょうだいし、これからもその名に恥じないよう、もっともっと精進してやっていかないといけない。大変な時なのに、自分たちに目を向けて考えてくれて……そのことに感謝します」。大助は「大船渡市は(活動の)キーステーションになって、お世話をしてくれる方もたくさんおられる場所。岩手のあちこちに、飛び飛びに仮設住宅があるので、これからは、5軒でも10軒でもいいから、そういうところにみんなで行こうと、この間もお話してきたところなんですよ」と、大船渡の皆さんとの強力タッグについて言及。そして「国や市町村などが主体となった復興活動もどんどんされているなか、僕らはぼちぼち小さい活動になっていく。いつか自然消滅みたいになればいいなと思います」と、期待を込めました。

「最初は被災地の皆さんに、何をしゃべっていいか迷いました。でも、若い子たちが普通に元気よく漫才をやったら、お客さんたちは腹を抱えて笑ってくれるんです。僕らの漫才なんか、泣き笑いで聞いてくれて。『こんな時に笑ってられへん』という方も半分ぐらいはおられたが、それでもみんな集まって笑ってくれた。1年ぐらい経った頃でしょうか、ようやく普通の状態で漫才ができるようになったのは」と、しみじみ語った大助。体育館やお寺、スーパー、公民館などさまざまな場所に出向いてきましたが、まだまだ「がれきがなくなり、更地になるのが『原点』なら、そこにも戻れていない」(花子)という状態。まずは、間もなくやってくるふたつのマラソン大会に全力投球して、元気と笑いを届けていきます。「『いわて銀河100kmチャレンジマラソン』では、優勝が狙えるのでは。(広島経済大学陸上競技部監督の)尾方剛さんがアンカーで走ってくださいますから」と花子が言えば、「他の方から見たら反則みたいな助っ人でしょ(笑)」と、大助。果たして「吉本ナショナルDreams」はどんな順位でゴールするのか!? 大助・花子ファミリーの復興支援活動にも、引き続きご注目、ご支援をお願いします!

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浪江町復興支援
『宮川大助・花子ファミリーお笑い公演』

日時:4月30日(火)13:30開場/14:00開演(16:00終演予定)
会場:安達体育館
出演:宮川大助・花子、松下笑一、宮川たま子、十手リンジン、ランナーズ、ぺんぎんナッツ、梶尾志保(歌)
入場無料/一般の方もご入場いただけます。

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