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2013年11月20日 (水)

『桂文枝 はなしの世界 第二幕(その二十)~六代目笑福亭松喬に捧ぐ~』公演後、桂文枝が故笑福亭松喬さんへの思いを語る

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11月19日(火)、天満天神繁昌亭で『桂文枝 はなしの世界』が上演されました。

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本公演はサブタイトルが『~六代目笑福亭松喬に捧ぐ~』となっており、2013年7月30日にがんでお亡くなりになった笑福亭松喬さんへ捧げる公演となりました。文枝が松喬さんと共同で再生したといっても過言ではない古典落語「箒屋娘」を改作した「住吉詣り」を、トリで披露した文枝。文枝が古典落語を高座にかけるのは、実に7年ぶりのこと。およそ1時間にも及ぶ大作となりました。

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演じ終えたあと、お客さんにご挨拶した文枝。「古典落語の『箒屋娘』を改作したものの、僕は全然やれなかったんです。でも松喬さんのお見舞いに行ったときに『見しとくんなはれ』と言われたので弟子にその日のうちに台本を届けさせて、何日かしてから松喬さんから『あれ、やらしておくんなはれ』と言われたんです。僕は創作落語があってなかなか手が回らなかったので、『好きなように変えとくんなはれ』と。そしたら『やらしてもらいます』と住吉大社でやられたんです。そのビデオテープを見せていただきましたが、本当に上手にやられていて。それからお亡くなりになり、私が渡した台本を棺に入れられるということで、奥様に台本をコピーしてもらったんですが、細かくいろいろ手を入れられていました」と、松喬さんも手を加えておられたことを明かしました。「それが、ストーリーを変えるのではなくて、船場の言葉とか、若旦さんならこういう言い方をするやろうというのが全部書いてあった。そのあとにもう一度ビデオテープを見ると、書き直したのとまた全然違うんです。さらに進化していた」と振り返ります。「僕も覚えるのは大変でしたが、松喬さんは、毎日苦しかったり、痛かったり大変やっただろうに、よくあの病床のなかこれを覚えてやられた。よくぞやられたな、と思いました。せっかくやられた落語をそのままにしておくのはもったいないなと、今回、やらせていただきました。場面の展開を多くしたり、山のないところにメリハリをつけられたり、松喬さんは、痛みに耐えてよくやられたと思います」。知られざる、共作のエピソードを打ち明けた文枝に、お客さんから大きな拍手が贈られました。

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上演後の会見では、まくらでは松喬さんとの共作であることを一切言わずに「住吉詣り」を始めた理由を打ち明けました。「まくらで言うと感極まってはいけないと思い、一番最後に言わせていただきました。最近、涙腺が緩みっぱなしで……」。あえて最後にご挨拶したことには、松喬さんへ捧げる思いがこもっていました。また文枝は、自ら古典落語「箒屋娘」を改作しようと思い立ったものの、「つくづく古典落語は難しい」と改めて痛感した様子。この日、風邪気味だったこともあり、「(落語に)けっこう時間を費やしたつもりなんですが、風邪以外どこも悪くない私でした。松喬さんはこの落語に45分かけたといいます。あの状況のなか、よくやられたなと感心しました」と改めて松喬さんのすごさに思いを馳せます。前もって松喬さんの「住吉詣り」も聞いていたということもあり、「お客さんが笑うところを知っていたので安心してたんですけど、それがなかったりして。『松喬さん、うまくやってはったんやなぁ』とつくづく思いましたね。六代目松喬さんの、落語にかける執念、思いを感じました」と演じながらも松喬さんへの思いを振り返っていたことを語りました。

また、「自分が作り変えておいて言うのはなんだと思いますが、難しい落語でした。ここ、という展開がある噺じゃないし、次どんなんやろう? という感じの噺でもないので、あの雰囲気を出すのが難しかったですね。松喬さんは、娘が長屋へ帰ってからの場面を非常に上手にやっておられました。僕は、始めの方ばかりに時間を取られて、長屋のあたりから寝てしまっていたんですよ(笑)。だから、病気のおとっちゃんのところも松喬さんは長いめにやっておられましたが、僕のは浅いめになってしまいました」と練習の秘話を打ち明ける一幕も。

2人で力を合わせて改定した「住吉詣り」を、「松喬さんがやれたというのは本当に良かったんじゃないかと思います。私の弟子なり、松喬さんの弟子が、これをまた違うように作っていただけたら。『住吉詣り』という落語が上方に残ればうれしいです」とも語り、文枝自身も「やってみたら、『ああやりたい、こうやりたい』と思うようなところが多々ありましたので、これを機会にまたちょっと古典のほうもやろうかなと思います。創作に時間を取られるもんですから大変ですけども、喜んでいただけたらと思います」と古典落語への思いを話しました。

質疑応答では、若旦那や番頭、丁稚という古典落語ならではの登場人物をどういう風に考えて作ったかという質問が。「古典の世界と創作は違うので、あわてないようにしました。できるだけ、情景やその時代の世界が醸す雰囲気を出せるように住吉さんにもお参りしました。でも、どうしても言葉がフッと現代風になることがあるので気を付けましたが、まだまだ。言葉の持っている間合いが難しかったです。若旦那とか丁稚、番頭を動かすのは難しいですね。今はいない人達やから。いろんな古典をやってた松喬さんやから、そのへんは楽にやれたんじゃないかなと思いますね」と、古典落語の難しさと、松喬さんへの敬意を改めて語ります。

 松喬さんの弔辞で「引き継ぎます」と述べた文枝に、「その約束は果たせましたか?」という質問も。「松喬さんのパンフレットにも書かせていただいたんですけど、『難しいでっしゃろ?』という顔が思い浮かびました。以前、松喬さんが僕の創作落語をやったことがあるんです。そのとき『非常に難しいですわ』とおっしゃってましたが、今回は僕が『難しいなぁ』と。亡くなる前に2回ほど一緒になりまして。松喬さんは打ち上げでもようしゃべりはる人で、松喬さんなりの理論を聞くのがおもしろかったですね。大変やったけど、やり切れてよかった。松喬さんとの約束は果たせたと思うし、喜んでもらえたのかなと思います」。松喬さんが入院中、具合を聞いていたという文枝。「病院に行きましても、松喬さんは泣き言ひとつ言えへんし、こんなに前向きでおれるのはなんでやろう? と思うぐらいでした。なんとか松喬さんへ捧げることができたんちゃうかなと思います」とも語りました。

上方落語を盛り上げようと取り組んだ2人の落語家の、深い思いが込められた、忘れられない会となりました。

【桂文枝】