【ライブレポート】さよなら京橋花月 ファイナルイベント!
11月30日(水)、京橋花月にて最後のイベント『さよなら京橋花月 ファイナルイベント~あんな出来事!こんな事件!年表見ながら京橋花月の歴史振り返り大トーク祭!~』が行われました。緞帳が上がると、京橋花月を連日、盛り上げてきた芸人たちが既に舞台に。オープニングもそこそこに、早速メッセンジャーのMCで「年表トーク」が始まりました。
「年表トーク」では、【2008年10月のうめだ花月閉館から2009年10月まで】、【2009年11月から2010年10月まで】、そして【2010年11月から今日まで】と、1年ごとに京橋花月で起こった出来事を振り返りました。
まずは【2008年10月のうめだ花月閉館から2009年10月まで】。
2008年11月28日にオープンした京橋花月ですが、こけら落としは間寛平のコメディを上演しました。ここで、スペシャルゲストの寛平が舞台へ登場。寛平はオープン後にアースマラソンへと旅立ったわけですが、2年後に日本に戻って何が驚いたかというと、「ランディーズ中川が肥えたこと」だったそうです。そして話題は寛平のギャグはなぜすべらないのか、に脱線。若手屈指のギャガー、ファミリーレストラン・下林や村越周司らが実践して検証するなど、しばしギャグタイムへ。ですが、寛平の出演時間もタイムアップとなり、最後にご挨拶を。
「劇場はこれで終わりやけど、ずっとこれからも、ずっとかわいがってくだ…触角抜いたん誰や~!」と、神妙な面持ちで語った思いきや、絶妙な間で持ちギャグを交えて大爆笑に。大きな笑いに包まれる中、舞台を後にしました。
再び、本流の「年表トーク」へ。オープンして間もなく世界的事件ともなったリーマンショックが起こります。「だから(劇場は)しんどかったんや」と黒田。あいはらも「何もかもリーマンショックせい!」と、その後、京橋花月で起こったマイナスな出来事はすべて、リーマンショックの余波であると分析していました。
と、ここで桜 稲垣早希が登場。会場からは歓声が。あいはらによると、京橋花月には「困ったときの早希ちゃん」という言葉があったそうで、そのくらい稲垣が出演すると盛り上がったとか。稲垣も「京橋花月のことを思うと感慨深いです。桜の単独ライブ、解散ライブをさせてもらったり、宇都宮まきちゃんとキャンペーンガールの“京花ガール”としてビラ配りもしました。あと、『パイセンフレンドパーク ファイナル』に出たことも思い出します」とコメント。その“パイセン”というキーワードで矢野・兵動 矢野がむくり。「パイセンやど!」と、おなじみのギャグで大いに沸かせました。
2009年12月からは『京橋花月よる芝居』が始まり、黒田が手掛けた『かさ』がこけら落とし公演で上演されました。そして話題は『よる芝居』について。舞台でしか聞けない裏話も多数飛び出し、笑いと驚嘆の声が入り混じる会場。そんな中、照準がりあるキッズ・安田に合わせられ、今日の出演メンバーの中でいいなと思う男性芸人は?との質問が。答えは「ミサイルマン・岩部」(安田)。逆に“この人はないわ…”というワースト3位は「3位から順に、しましまんず・藤井さん、ぼんちつばささん、シンクタンク・タンクさん!」とのこと。“京橋花月オープンから1年”の締めくくりは、りあるキッズ・安田の男性の好みでした。
時は2年目へ。2009年11月の1周年イベントは『TKF VS 小籔軍団オールナイトイベント』でした。12月には大人気イベント『兵動大樹のおしゃべり大好き。』を2回も上演。舞台では軽妙洒脱なトークを繰り広げる兵動ですが、黒田によると「楽屋では、38度くらいの熱があるんちゃうかと思うほど、どんよりとソファーに座っている」そう。また、「ネタをして舞台を降りてからのテンションの差が激しく、やり切った感がすごい!」とも。そのやり切った感は、よしもとでは「くるよ師匠か兵動さんか」(あいはら)とのことです。
2010年1月には、前年の『M-1グランプリ』チャンピオンであるパンクブーブーと、同大会にて激戦を繰り広げた笑い飯が揃って登場するもお客さんは少なめだったそう。「今日は立ち見までおる。奇跡ですよ!」と黒田。その盛況ぶりについて話していたのですが、いつのまにか話題は矢野の声の大きさについて。矢野はすかさず立ち上がって「面白い、面白くない以前に、芸人の基本は声が大きいこと!」と熱く持論を展開。会場から拍手が起こりました。『やりすぎフェスタ』を大々的に展開したのも1月、2月。東京の若手芸人たちがこのイベントをきっかけに、京橋花月の舞台に立つようになったのですが、その状況を「黒船に乗ってやってきた」と喩える黒田。
『やりすぎフェスタ』では、はんにゃやフルーツポンチらが座長を務めたのですが、京橋芸人でやるなら…と考え始めたあいはら、「ヘッドライト、つばさ・きよし、シンクタンク、ストリークが座長をやってもよかった」。この4組も京橋花月の立役者です。ストリーク・山田は「明日から週7でバイトしないと…」と閉館を嘆いていましたが、そんなふたりに「どんなネタやっても笑わへんおっさんが、ストリークが『まいどー!』って言って野球ネタしたら、ニヤっとしよんねん」とあいはら。京橋花月での功績をさりげなく称えていました。
3月には前年、大盛況だった辻本茂雄の芝居公演の続編『茂造 ~閉ざされた過去 完結編~』が上演、連日満員でした。4月も『池乃めだか芸能生活45周年記念公演「兄と妹」』が行われました。また、7月には坂田利夫とET-KINGによる京橋花月キャンペーンソングも生まれました。9月にはオープンから続いていた『よる芝居』が終了するのですが、一方で稲垣の単独ライブも始まりました。
そしていよいよラストイヤーとなる【2010年11月から2011年11月】へ。2周年記念イベントは、ヘッドライト、つばさ・きよし、ミサイルマン、ファミリーレストランによる京花トップチームと東京芸人による『京花トップチームVSルミネ芸人』が開催され、往年のファンにはたまらないと好評だった『京橋ポケットミュージカルス』も始まりました。12月には『つばさ・きよし10周年記念ライブ』が開催され、満員のお客さんに迎えられました。なお、チケットはほぼ手売りで売り切ったそうです。と、ここで笑い飯が登場。年表トークに参加です。
この1年も、矢野と川畑泰史によるイベント『歌と合わせて一本勝負』が行われたり、松竹新喜劇の渋谷天外さんを迎えての辻本茂雄芸能生活25周年記念公演『茂造~閉ざされた少年時代~』や村越周司吉本復帰イベント、スマイルキャンペーンの一貫として坂田利夫のコンパなどが行われました。また、9月の『WONDER CAMP KANSAI』ではET-KING主演のコントミュージカルも行われるなど、京橋花月ならではの趣向を凝らしたイベントが楽しめました。11月上旬にはケツカッチン・高山の前身コンビ、ベイブルースを題材にした芝居公演も行われ、お客さんを笑いと感動の渦に巻き込みました。そして、ファイナル前日にはネタばかりのセミファイナル公演が行われ、MCだった兵動は「本当にいいお客さんが来てくれた」と語っていました。
京橋花月での濃密な3年間を約2時間にわたって振り返った「年表トーク」。「京橋花月はいいお客さんが多かった」(あいはら)、「舞台もやりやすかった。何にでも使えた」(黒田)と締めくくりました。
休憩の後は、楽屋の中継コーナーを。思い思いに寛ぐ芸人たちの様子がプロジェクター映し出されました。
そして最後のコーナー「京橋アカデミー賞」へ。MCは後藤秀樹です。また、ここからは土肥ポン太、テンダラー、ギャロップ、宇都宮まきも舞台に登場しました。
まずは、「集客に貢献したで賞」の発表。受賞者はやっぱりこの方、桜 稲垣早希です。単独ライブを開けば毎回満席、ひとたびイベントへの出演が決まれば瞬時にチケットが売り切れ、チラシもすぐなくなるという人気ぶりが称えられました。熱烈なファンの方に支えられている稲垣ですが、そんなファンの方からいただいたプレゼントで最も驚いたのは「パソコン2台、レンジ1台、洗濯機1台」だったそうです。
続いて「楽屋でムダに口数が多かったで賞」。ただただ喋っていた芸人に与えられるというこの賞を受賞したのは、矢野・兵動 矢野。漫才の出番が近づいているのに喋り続け、出囃子に間に合わなかったこともあったそうです。
「ツイッターのフォロワー数が増えたで賞」という、突然ツイッターのフォロワー数が増加し、京橋花月の知名度アップに貢献した芸人に与えられるこの賞は、ファミリーレストラン・原田が獲得。『プロ野球名鑑』風に作った原田オリジナルの芸人プロフィール『芸人選手名鑑』が話題を呼び、フォロワー数がアップ。今ではレッドソックスの松坂選手にもフォローされているんだとか。そして来春には書籍化も決定。「今日、出演している芸人さんのプロフィールは、ほぼ作ってますね」と原田。が、後藤のプロフィールを作っていないことが判明! 「早速作ります!!」(原田)
「閉館したら収入にモロに響くで賞」はぼんちきよしに。劇場出演のみならず、お得意のタイ式マッサージの機会が大幅に減るのだそうで、「10万くらい収入に差が出ます」(きよし)。ライセンス保持者のきよし、マッサージは一般の方も受け付けているとのことで「ツイッターをフォローしていただければ、ダイレクトメッセージで!」とお客様への営業もちゃっかりと。
次は「最多昼出番賞」を。3年間で最も昼公演に出演した芸人に贈られるこの賞、受賞コンビは合計346回出演したテンダラーでした。京橋花月ではストリークの後にネタをすることが多かったというテンダラー。ストリークのネタである矢野燿大元捕手の応援歌ネタの吉本パートは完全コピーができると浜本。ストリーク・山田を相方に、その完コピを披露しました。なお、テンダラーの次に多かったのはミサイルマンで310回、続いてギャロップ282回でした。
京橋花月で最も小道具を使用した芸人に贈られる「最多小道具賞」は土肥ポン太が受賞。ステージに登場した、その膨大な数。「全部持って帰ってくださいね」(後藤)。
「漫才の終わり方にこだわり過ぎるで賞」はギャロップが受賞。毛利が漫才の締めの「もうええわ」にこだわって、かっこをつけすぎて、「もう」の発音が「まともの間の変な音になっていた」と林。数秒溜めることもしばしばで、林一人が無意味に頭を下げているような格好になったことも。そんな中、毛利の「もうええわ」を集めたPVが披露されたのですが、実はこれ、毛利の自作でした。
「京橋アカデミー賞」の最後は、やっぱり「最優秀京橋花月賞」です。京橋花月で最も活躍し、最も貢献した芸人に与えられるこの賞、受賞コンビはこのイベント冒頭から何度も“京橋花月と言えば”というシーンで名前が挙がっていたヘッドライトでした! ツイッターで“京橋花月の芸人と言えば誰?”というアンケートでも堂々の1位。全回答者30人中18人がヘッドライトと答えたそうです。昼出番は3年間で280回ですが、前説、中説を含めると「最多昼出番賞」を受賞したテンダラーを抜いて一番多かったとのこと。この受賞を受けて「これまで賞に縁がありませんでしたが、今年はヤナギブソンさんの“誰が興味あんねんツイート賞”に続く2冠目です!」と嬉しそうに語る和田。この栄冠は、ヘッドライトの公式プロフィールにも刻まれるそうです。
そして遂にエンディングへ。MCは再びメッセンジャーに。「3年間と短い月日でしたが、大事な日々過ごさせてもらった」と黒田が話している中、涙をこらえきれない矢野が「最後にもう一度、漫才マイクを見せて」とリクエスト。床から上がってくる漫才マイクに感無量の様子、渾身で「パイセンやど!」と叫びました。
最後の挨拶では、「京橋花月はなくなるけど、僕たちはいつもどこかの会場で漫才をやっているので」とあいはら。黒田も「京橋花月で培ったものは大きい。また景気が戻ったら、劇場を作ったらええんです。これからはまた、戦後の闇市のような気持ちで、我々芸人も頑張らなあきません。なんばグランド花月、よしもと祇園花月もあるので、また頑張ります!」と締めくくり、出演者たちのサイン入りカラーボールをお客さんにプレゼントし、幕を閉じました。
関西では、なんばグランド花月、5upよしもと、そしてよしもと祇園花月で引き続き、連日舞台を上演中です! これからもよろしくお願いいたします!
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