林家染弥が三代目林家菊丸襲名を発表!
四代目林家染丸の六番弟子である林家染弥が2014年9月27日、なんばグランド花月で行う『染弥改メ「三代目林家菊丸」』襲名披露公演を以って、上方林家の由緒ある名跡、林家菊丸を襲名する運びとなりました。
大学在学中に落語家になる夢を諦められず、大学を中退し、憧れの四代目林家染丸の門を叩き、見習いを経て入門した染弥。入門9年目から開催している年に一度の独演会では必ず大ネタを手掛け、特に染丸ゆずりの女性の演じ方には定評があります。近年は六代桂文枝に手ほどきを受けたことをきっかけに創作落語にも意欲を燃やし、古典から創作まで、その持ちネタは多数多彩。どの世代の方々にも楽しんで頂ける話芸を披露させていただいています。
そしてこのたび、林家染弥が関係各位ならびに師匠である染丸をはじめ一門総意により『三代目林家菊丸』を約115年ぶりに復活させ、襲名することとなりました。9月27日には、上方林家の由緒ある大名跡、菊丸を継ぐにあたって、染弥と師匠の染丸、兄弟子の染二らが出席、そして兄弟子・花丸の司会進行による襲名発表会見が開かれ、その思いを語りました。
まずはじめに、吉本興業代表取締役会長吉野伊佐男が挨拶を。昨年の100周年では六代目桂文枝、今年は七代目月亭文都の襲名があり、さらに来年、こおの三代目林家菊丸の襲名が行われるということで「大変重責を感じているが、115年ぶりの大名跡が復活を会社を上げて、全力で襲名披露公演をバックアップしていきたい」と語りました。また、染弥へも「将来性のある噺家さんだと感じている。上方落語界のエースとして頑張ってほしい」とエールを送りました。
続いては師匠の染丸が「ご承知のとおり、はっきりしゃべれませんのでぼちぼち、襲名に向けて元気になろうと思っています。襲名というのは縁がないとできない、特別な縁があってできるものでございます。襲名のきっかけについて詳しいことは染二がしゃべります」と、にこやかな笑顔でご挨拶をしました。
そして師匠からの使命を受け、染二が襲名のきっかけを説明。昨年7月の天神祭の日に、染丸宅で門弟一同が集まり食事会を開いていた際、林家一門でも襲名をという話になったそうです。その中で、菊丸という名前は入門から20年近く経過し、兄弟子の花丸と共に一門に尽力している染弥が適任だと染二が推薦し、師匠及び一門の総意を得られ、決定したとのことです。
「菊丸は林家の大名跡でございますが、染弥君が来年20周年を迎えるということと、大阪文化祭賞奨励賞という若手から中堅を対象にした、大看板に向けての一番大きな登竜門である賞を頂戴いたしました。その時に審査委員の方々も染丸の芸や系譜を継承して、そこに自分の独自性を加えていると大変高い評価をいただきました。林家を背負って立つ一人として私も実力を大いに認めているところでございます」と染二はこの襲名発表会見でも力説していました。
林家には「ぬの字うさぎ」という家紋があるのですが、菊丸襲名にあたって「乱れ菊」という歌舞伎の人気狂言「弁天小僧菊之助」浜松屋の場面で菊之助が着ている門付けの紋を新たに入れることも明かしました。
「歌舞伎界の大スター、六代目尾上菊五郎にあやかって、林家はもちろん上方落語の大名跡、大看板になっていただきたいと思います。そして今、師匠も申しましたように、師匠は只今療養中でございますが、来年の襲名興行に向けて療養に励んで襲名興行を一門で華々しくしようとみんなで頑張っていこうと言っておりますので、今後ともご支援賜りますよう、若輩者でございますがお願い申し上げます。この紋は買わないといけないんですけど、染弥くんが吉野会長に「高くつくんです」と言ってたら、「大変やな」を一言いただいたそうです」と笑いも誘いました。
そして来年9月27日に三代目林家菊丸を襲名することになった染弥より、ご挨拶がありました。
「来年9月27日になんばグランド花月において三代目林家菊丸を襲名させていただくことになりました。来年は私にとりましても入門から丸20年という節目の年でございます。その節目の年に一門の由緒ある名跡を継がせていただくことは大きな喜びであり、また、責任の重さをひしひしと感じている次第でございます」と今の心境を語る染弥。
菊丸という名跡は約115年ぶりの復活ということもあり、先代の本名や遺族の方の存在、お墓の情報も全くないそうです。名跡が115年ぶりに復活するということも現代の襲名では珍しいことではないかと染弥。それゆえ、「先代のイメージが世間にはまったくございません。それは私にとってまず、何を目指して、何に向かって精進していけばよいのかという道しるべのようなものがないわけでございまして、非常に不安ではあるのすが、考え方を前向きにしますと、先代のイメージがないということは逆に、明治時代の大看板を大正、昭和の時を超えて平成の時代に新たに自分のカラーで染めていくこと、イメージを作っていくことができると前向きにとらえて頑張っていきたいと思っております」と新しい“菊丸像”を作り上げていく決意を語りました。
染弥は10代で入門し、親子ほど年の離れている染丸に対して師匠である一方で父親のようにも思っていたそうです。「世間知らずだった」という染弥に対し、礼儀作法からお茶の淹れ方、掃除の仕方まですべて、染丸に仕込んでもらったとのことで、入門20年をいわば成人式」と捉え、来年の襲名披露公演も成人式のつもりで取り組みたいと語りました。
「師匠、兄弟子の皆さん、一門外でも師匠方、先輩方、そして所属しております吉本興業のバックアップがなければこういう運びにはなりませんでした。そして何よりこれまで応援していただいておりますお客様、ファンの方々のご声援があればこそでございまして、そのような各方面の皆さんからいただいた御恩は、必ず立派な菊丸となりまして“倍返し”させていただきたいとこのように思っておりますので、どうかご指導、ご鞭撻のほどを引き続きよろしくお願いいたします!」と最後は流行語も取り入れ、笑顔で締めました。
また、襲名発表会見では芸能史研究家の前田憲司さんから林家菊丸という人物についての説明もありました。死没した時期もはっきりしない二代目菊丸。「約115年ぶり」という年数も、菊丸が高座に上がっていた頃の番付表などを参考にして割り出したそうです。
二代目菊丸は、今では古典落語と呼ばれる「不動坊」「後家馬子」「堀川」などを創作した人物で大看板としても知られていたそうですが、詳しい情報に乏しく、前田さんも「襲名というニュースが流れると、遺族の方が名乗られることもあるので、研究家という立場から期待しています」とおめでたいニュースを喜んでおられました。
会見では、以下のような質疑応答もありました。
――染丸師匠、染弥さんの良さと励ましの言葉をお願いします。
染丸「最近、特に古典に真剣に取り組んでおり、現代らしい古典落語をやるようになりました。そういうことと本人の性格がええんですな。これは大事なことで、今後の林家を担っていくだろうと思います。大きな名前を継がせてみたら、またそれで本人も大きくなるだろうと思います。そういう意味も込めて継がせました」
――染弥さん、菊丸という名前を継がれると知った時はどんなことを思いましたか?
染弥「名前の存在は知っていました。でもまさか私にとは思いもしませんでしたし、正直、この世界に入らせていただいてゆくゆくは菊丸を継ぎたいんだという思いももちろんありませんでした(笑)。筆頭弟子の染二から襲名の話題が出た時は、何せ途絶えている名前ですし、これをお受けしなければ…と私もずいぶん悩みました。これに関しては誰にも相談せずに一人で考え抜きました。そして、私がここでお断りするようなことになるとまた間が空くと思いました。ご承知の通り、上方の林家は人数の少ない時期がありまして、今の師匠の代で弟子が13人と二桁になり、増えました。そんな中で私がこの襲名をさせていただく、つまり挑戦するということで、もう一つ大阪の林家に名前が復活すればいいな、そういうことがこの世界に入らせていただいたことの使命かなと感じました」
染丸「菊丸と私らは全然つながりがないと思っていましたが、「堀川」は私の師匠の十八番。私もやる。そこでつながってます。私は「不動坊」もやりますし、つながりはあるんです。そんなんもやるんやで。いやか?」
染弥「いえ! 来年の襲名に向けて落語界の数も増やしていく予定でございまして、菊丸ネタもチャレンジしていきます。来年の9月の襲名までにそういう活動もしていきます」
染丸「またしごきます!」
――来年20周年ということで、この20年を振り返ってみてどうでしたか?
染弥「私は同期が9人おりまして、桂吉弥さんという非常に売れて活躍している方もいますし、春蝶、米紫とすでに襲名している人もいます。そういう同期の者と切磋琢磨してきた20年だったと思います。同期の誰かが独演会をやれば、自分も負けずにやろう思いまして丸9年の年に「染弥の会」というものを開き、毎年続けています。時期尚早だったかもしれないですけど、同期からの刺激を受けてひたすらにやってきた20年だったと思います。先ほど申しましたように、私は本当に世間知らずのまま(この世界に)入りました。染二兄さんと花丸兄さんの兄弟子には入門前から、見習いの頃から困ったことがあるとよく電話して相談してきました。この20年、自分がどう成長したかというのは分からないんのですが、染二兄さんからも「最近ようなった」とか、「声の出方が変わった」とか嬉しいアドバイスをいただいて、そういうお声をいただきながら突っ走ってきた20年でした。
――染弥さん、菊丸という名前を継がれることで、どんな菊丸になっていきたいですか?
染弥「僕は師匠の芸に憧れて入門しましたので、師匠の芸を大事にしつつ、さほど落語に興味がなくても若いお客さんにも楽しんでもらえる、古典の良さを崩さないような味付け、ギャグを足しながら、古典の空気を崩さないやり方で、なおかつ新しい笑いのエッセンスを入れる、そんな噺家になりたいと思っています」
――染丸師匠に、来年襲名公演を控えた今のお気持ちはいかがですか?
染丸「(落語は)少しずつお客さんの前で始めています。昨日も奈良でやったのですが、やっぱりお客さんは待っててくれはるんですね。それがありがたいです。その力が私に入って来るんです。それで少しずつ良くなる。そんな感じですね。自分でこうしようという気持ちと周りからの力、それで良くなると思うんです。脳梗塞になったという方へは、周りから励ましてやってあげてください。私もそういう力をいただいて、襲名披露公演に間に合うように頑張りたいと思います」
染弥「師匠は舞台でも喋り始めるとだんだんお声がでてきたりして、やはり少しずつだと思います。先日、大﨑社長がお食事会を開いてくださいまして、その時も師匠は会席料理をぺろりと完食されました。また、大﨑社長が「我々は吉本という一つの家族の中にいるんだと。だからお祝いごとは全面的にバックアップしていくよ」とおっしゃってくださいました。そのお話の中で大﨑社長から襲名披露は海外公演も視野に入れようと。もちろん大阪でやらせていただくのですが、海外ではタイでと。途端に師匠がその気になりまして、飛行機に乗るんや、タイに行くんやと。二日後にはタイカレーも買ってはって、タイに向けての気分が上がってきていました(笑)」
染丸「今、タイ語も勉強してる」
――襲名の重みをどう感じていますか? また、ご出身の三重県の方にメッセージをください。
染弥「最近、上方落語は勢いがあると思うんです。六代文枝襲名、七代目文都襲名など。ややもすると、「またお前もか」というようなことで、「大丈夫かとか、あんなやつに菊丸は継げんのか」とか、いろんなお声が出てくるかもしれないという覚悟はしています。そういう意味でも襲名披露を迎えるこの一年は挑戦の一年だと思っています。襲名に恥じない、染弥として挑戦の1年だと。そして、襲名がゴールかというとそうじゃありません。襲名してからこそが大事で、襲名までの1年は挑戦、襲名後は勝負の年として、「やっぱりあいつに襲名させて間違いなかったな」と言ってもらえるように、その覚悟は十分にあります。三重県の方にメッセージということでですが、昔は上方の噺家になりたいと思ってもいわゆる5畿内の地域の者しか上方の噺家なれない、弟子入りも断っていた時代があったそうで、三重県もそこには入っていませんでした。今では三重県出身の先輩はたくさんいまして、桂福團治さん、桂文我さんも三重出身で、お二人とも襲名されました。私もまた、こうやってハレの場に立つことができたのは地元の皆さんの応援があったからだと思っております。三重県民の皆さん、ありがとうございます!(笑)。三重県知事とも同い年で、襲名も全面的な応援をしていただけるとおっしゃっていただいてますので、地元でもお披露目の会をしたいと思います」
質疑応答も終わり、この襲名発表会見を締めたのは司会進行を務めた花丸。
花丸「謙虚に申しておりますけれども、地元三重県の皆さんにも応援をいただき、その追い風を受けて染弥くんが立派な新菊丸になることは、実は我々一門からは「丸みえ」になっておりますのでよろしくお願いします!」
最後に、染丸が今日の日を迎えるにあたって一句したためたと、その句をご紹介しました。
「三代に 重なる菊や 薫りよく」
染弥改メ三代目林家菊丸襲名披露は2014年9月27日(土)、なんばグランド花月にてにぎにぎしく開催いたします。発表からちょうど1年後となる襲名披露公演に向けて、精一杯がんばっていきますので、これからも林家染谷をどうぞ応援してください!
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