六代桂文枝襲名披露パーティで三枝が意気込み「文枝という看板を支える!」
7月2日(月)、都内のホテルで『三枝 改メ 六代桂文枝襲名披露パーティ』が行われ、それに先立ち、記者会見が開催されました。
会見に出席したのは、7月16日(月・祝)をもって「六代 桂文枝」を襲名する、桂三枝を筆頭に、五代目桂文枝一門。桂きん枝、桂文珍、桂文太、桂小軽、桂文福、桂文喬、桂文也、桂小枝、桂枝女太、桂枝光、桂あやめ、桂坊枝、桂文昇、桂枝曾丸、桂文華、桂こけ枝、桂文三、桂かい枝、桂阿か枝、合計20名です。
先に登場した弟弟子から「待ってましたッ!」と拍手で迎えられた本日の主役、桂三枝。襲名を2週間に控えての心境を含めてのご挨拶です。
「あと2週間で、私の誕生日の7月16日で桂文枝となるわけでございますが、まだまだ私の中では文枝というのは師匠のイメージが強いものですから、文枝に自分が溶け込めているという実感がありません。ちょうど三枝と文枝のはざまにいるような感じに近い。そんなことで、代々の文枝の名前を汚すことなくやっていけるのかなというのが、正直な気持ちではあります。それはやはりあまりにも三枝が長かったのもあるのでしょうが、吉本興業が100周年ということで全面的にバックアップしてくれまして、今日なんとかパーティの日を迎えることができました。また、みなさんにも祝っていただきまして…祝っていただくほどプレッシャーを感じる面もあるんですが、とはいえ、あと2週間ですから。健康には気をつけて…って最近はどうやら知らない間に少しずつ痩せて、周囲に『どないしはったんですか?』と言われるのですが、私にはこうして後ろに19人の弟弟子がついておりますので、元気に乗り切っていきたいと思います! そうして文枝という名を広め、上方落語をみなさんに知っていただけるよう頑張っていきたいと思います」。
続いては、桂きん枝です。
「わが一門にとって桂文枝という名前は非常に大きな名前です。その名前を絶やすわけにはいかないと思い、兄弟子である三枝さんにお願いを申しあげました。2年かかってようやく了解を得て、記者会見を開いたのが1年前です。とにかく三枝さん、すごい方です。天才でございます。いつも私が言っております、『天才努力したらいかん。周りのもんが迷惑や』と。ですから、桂三枝が平成の文枝として歴史に名を残すものと、確信しております。1年半の長丁場ですから、どうぞ最後の最後まで…」と、ここで三枝が思わずツッコミ。「君、選挙やないねんから(笑)」。するときん枝は「ちょっと私も、いやな過去を思い出しました、すみません。私も谷あり谷ありの人生でございますので…。しかし、そんな中、六代文枝のために頑張ってこれたことが私の支えです!」と、力強く語ったのでした。
そして桂文珍は「きん枝さんの各方面に気を遣ったような、遣ってないようなご挨拶がございましたけども…」とまずは、きん枝の挨拶に触れて語り出します。「私たちは五代目文枝が好きで好きで入門した仲間です。そんな師匠も、亡くなるときに『六代は誰になるんやろう?』と心配してたのではないかと思いますけど、そんな中で総領弟子の三枝のあんちゃんが引っ張っていってくれて、文枝を継ぐということで安定感を増した一門になるのではないかと。今日はくしくも与党が分裂するだのなんだのいうことがあるようでございますが、われわれは一丸となってまとまっていきたいと思っております(笑)」。
また、会見上、襲名の日に桂三枝の46年を振り返った書籍『桂三枝論』が発売されることも発表。これについて三枝は「やまだりよこさんという、演芸評論家の方に書いていただきました。私が当時、小文枝師匠のもとに入って、どういう経緯でここまできたかが書かれてあります。いろんな方の証言も収められ、貴重な演芸史になっていると思います。ちなみに、あの本を読まないきん枝くんも読み通せて『面白かった』と言ってましたので(笑)、多くの方にぜひ」とコメント。
なお、記者との質疑応答では、襲名後の出囃子は、文枝師匠のものと三枝として使っていたものを合わせて使っていくと宣言。「番組の収録で、師匠の出囃子を使ってみましたが、どうしても師匠のイメージがあるし、寸法が慣れてない部分がある。場所によって使い分けていくことになるかと思います」。そして、三枝の名前を誰かに譲るのかについては「現在のところ全く考えておりません」と明言。「三枝という私の向こうに文枝という看板がある。それを一生懸命支えるような形で、私なりの五代文枝を作り上げていきたいと思います」と、意気込みを語ったのでした。
最後は、文福が見事に一曲披露。「浪速のォ、上方のォ~、歴史を繋ぐ立派ァ~な襲名をォ、六代文枝のこの人はァ、芸よし、人よし、ハートよし~」などと歌いあげて幕。文枝一門らしい賑々しい会見と相成りました。
【桂三枝】