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2012年8月13日 (月)

間寛平被災地を応援!みちのくマラソン本日スタート!

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タレント・間寛平が東日本大震災の被災地を応援するため、9日間をかけて岩手、宮城、福島3県を縦走する「RUN FORWARD KANPEI みちのくマラソン」が13日、スタートしました。

寛平は今回のマラソンを昨年夏ごろから企画。被災地の道路状況の復旧を待ち、この日を迎えました。「アースマラソンで自分は応援を受けて走り切ることができました。今度は自分が何か東北にお返しをしたい。僕にできることは走ってみんなを応援すること。喜んでもらえるなら何でもやりますいよ。どんなギャグでも」と出発前の心境を、寛平は語りました。

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スタート地点は、特別な思いで選んだ場所。岩手県下閉郡山田町の公共施設「陸中海岸青少年の家」には、震災で大きな被害を受けた山田町立船越小学校が仮校舎として現在は使用しています。同小学校では、寛平が世界1周のアースマラソンに挑戦している間、前校長の佐々木道雄さん(55)=現奥州市立梁川小学校校長=が、授業の合間の休み時間に校庭を走る「業間マラソン」の一環で、寛平と一緒に1万キロを走る企画を発案。マラソンの事務局側に連絡し、寛平と小学生たちのメールでの交流が実現しました。

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この日は、船越小学校の生徒、父兄たちは「絆 寛走」の大きな文字とともに激励の寄せ書きを入れた応援幕も用意していました。

会場には「-みちのくマラソン」のホームページを見て集まった、小学生から60歳以上のお年寄りまで約50人が"応援ランナー"として集結。その中に佐々木校長や船越小の生徒たちの姿もありました。

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施設の敷地内を約3キロ、一緒に走り、午前8時すぎ、寛平はみちのくマラソンをスタート。一緒に走った小学生は「寛平さんと一緒に走れてきょうは楽しかった」と笑顔を見せ、市民ランナーの男性は「東北のために走ってくれるのは本当にうれしい」と話していました。約300人のファンに送られて会場を出発。途中、約300世帯の仮設住宅がある釜石市の平田地区を訪問するなど、精力的に住民との交流も繰り広げました。午後5時すぎ、初日のゴール地点である大船渡市の仮設店舗商店街「浦浜サイコー商店街」に到着しました。

「50キロ、100キロという本格的なマラソンは、もう無理」と、寛平は今回が“最後のマラソン”になると示唆。走っている途中に、がれきの山、家が集落ごと流された場所にも遭遇しました。「震災を忘れないよう、みんなが復興に向けて頑張っていることを伝えたい」。伝説のラストランが始まりました。

以下、間寛平の質疑応答になります。

Q.スタート目前、体調は?

A.いつもなら寝られるんですけど、眠れなかった。緊張ですかね…なぜなんでしょう。緊張しているんですかね。アースマラソンを走ってゴールしてかれこれ一年半、そっから走ってないですからね。いろんなことが重なって。毎日10キロほどは練習していた。体調は大丈夫です。がんはパン、パン打ち殺しました。

Q.これが最後と言われていたが。

A.本当に長いマラソン、50キロとか100キロ、スパルタスロン、無理ですね。これからはダラダラ走っていきます。

Q.被災地を走ることで、日本中にどんなメッセージを届けたいのか。

A.一年半たつけど、忘れてはいけないことを伝える。復興に向けて頑張ってる人を応援しながら、(アヘアヘのギャグをしながら)こんなこともして、笑顔にしたい」

Q.どこへ行きたいか。

A.どこ行くかは走りながら決めていきたい。走っていくところは全部見ていきます。楽しみは頑張っている人たちと会うこと。被災地がどう変わったか、変わってないかを見ていきたい。この状況を、みんなが頑張っていることを伝えたい。

(途中で年配の一般の男性が会見に口を挟み)「寛平さんが走っていると元気がもらえるんです」と向けると、「元気与えていきますよ。ウンバラバー」とギャグを一発。最後には一般の男性から「きょうはどこかかゆいところがありますか?」と聞かれ、お尻を近くの壁にこすりながら「そうですね…カイーノ、カイーノ…何をさすねん!」とギャグを繰り出す場面もありました。

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