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2012年8月22日 (水)

「東北がめっちゃ好き!」寛平ラストラン、“みちのくマラソン”462kmを完走!!

8月21日(火)、8月13日(月)から9日間にわたって、岩手県、宮城県、福島県を縦断する『RUN FORWARD KANPEI みちのくマラソン』に挑戦していた間寛平が、福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで、見事ゴールを迎えました!

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東日本大震災の被災地に元気を届けたいと、アースマラソン以来となる、そして長距離としての“ラストラン”として『みちのくマラソン』を決意した寛平。連日の猛暑の中でしたが、1日50kmのランを9日間にわたって敢行しました。

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また毎日、その日のゴール地点をマーキングした後は、近くの仮設住宅などを訪問。地元の方々とコミュニケーションをはかり、その話に耳を傾けたほか、各県で募集した50人と3kmほどを一緒に走る「応援ラン」も実施。アースマラソンでさえ、6日走って1日の休養日を設けていましたが「ぜひ、福島県民の日である8月21日にゴールしたい!」と走り続け、当日まで走り抜いたのでした。

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そんなゴール会場となった、スパリゾートハワイアンズにはたくさんの福島県の人々が集合。また、たむらけんじ、テンダラー、次長課長、サバンナ、中川家、南海キャンディーズ・しずちゃん、波田陽区といった、寛平と親交のある芸人が集合。もちろん、弟子のシベリア文太、本田みずほも駆けつけ、寛平のゴールを待ちます。ステージでは、まきたん&キッズダンサーが『チャチャマンボ島』を元気に歌って踊ってみせたほか、サバンナ、テンダラー、中川家がネタを披露。そして、ステージ上に“フラガール”たちも集まった中…16時52分、ついに間寛平はゴールテープを切りました!

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みんなからの熱い祝福を受けた寛平は、まず「とにかく暑かったですね」と振り返って一言。「でもね、毎日50kmくらい走っとってみて、被災地のみなさんがどんだけ大変なのかが、ようわかりました。起こったことを忘れてはいけないとつよく思ったし、復興もまだまだだというのを感じましたね。岩手、宮城、福島それぞれに違う大変さがあるんです。本当、ぼくらは東北を忘れてはいけないんですよ!」と、力強く感想を語ったのでした。

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すると、詰めかけた人々は口々に寛平に「ありがとう!」。寛平は「こちらこそ、ありがとう! 本当、今回のマラソンが今までと違って印象的だったのは、走ってるとみんなが僕に向かって『ありがとう!』言ってくれるんですよね。だから僕は、声をかけてくれる人に『頑張ってや!』と言う。いつもと逆なんですよね」としみじみ。さらに今回は「少しでも元気になってもらいたかった」との思いから、かけられた声にはすべて応えたのだそうで「写真もサインも応じて、『かいーの!』も『パンプキン!』も、そしてみんなにパワーを挙げる『ウンバラバー!』もどれだけやったことか(笑)。走りながら、いつでもどこでもやったからね。おかげで、少しは笑顔になってくれたんじゃないかな」とホッとした表情に。ということで、ゴール直後ながら、早速『かいーの!』、『パパパ、パンプキン!』、『ウンバラバー!』を連発。芸人一同が思わず「なんでそんなに元気なんですか!?」とびっくりする一方、お客さんたちは大喜びです。

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とはいえ、最後に真面目な表情で、感じたことのまとめと、新たな決意を語りました。「たとえば福島に入って思ったのは、泊まるところにしても食べ物にしても、みんなちゃんと調べてて、受け入れる態勢は整っているわけやんか。でも、お客さんが来てくれへん。そういうことになっているということに改めて驚きました。そういうことが僕らは、実際に振りかかってへんからよくわからなかった。だから、震災を忘れてはいけないのはもちろん、もっとちゃんと知ろうとせないかんなと思うんです。僕はアースマラソンのことなどで、講演に呼ばれることがあるんで、そのときは『みちのくマラソン』で見聞きしたことを、どんどん言うていこうと思います。それに…マラソンで訪れたところには、自分で、また必ず来たいと思いますので、東北のみなさん、これからもよろしくお願いします!」。万雷の拍手が間寛平を包んだのでした。

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以下は、寛平との一問一答です。
――改めて、走ってみていかがでしたか?
「被災地は思っていた以上に大変やというのが、わかりました。県ごとに大変なことが違うというのもよくわかりましたしね。僕はなにもできないんですが、少しでも笑顔にできればと思って今回走ったんですが、いや本当、ものすごいものを見てきました。どう言うてええか…もうわからないことがいっぱいあったんです。たとえば海沿いをずっと走ってきたでしょ。そうすると、登ったり降りたり、高低差があるわけですよね。その降りたところに小さい港や集落があるわけですけど、それが全部流されてるわけですよ。残ってるのは土台だけ。だから走りながら『これからどうしていけばええんやろうなあ』と思いましたし『僕には何もできないけど、それでも自分にできることは何だろう?』というのをずっと考えてました。だから正直な話、ゴールしても『やったー!』というような感じはまったくなかったですね。だからゴールということで言えば、まだまだゴールはない。ただ、子供たちとかおじいちゃのばあちゃんの笑顔をたくさん見られたので、なんとか少しでも前向きになってくれたら、やった甲斐があったなと思います。」

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――寛平さんが被災された、阪神淡路大震災との違いは感じましたか?
「これはもう走っていたら一目瞭然、津波ですよね。家も人も、なにもかもを持っていってしまって、なくなってしまったわけですから。阪神淡路大震災も、もちろん大変やったわけですけど、それとはまったく違った大変さを感じましたね」
――中でもいちばん衝撃を受けたことを挙げていただくと?
「いや、もう…言うたらすべてに衝撃を受けましたよ。仮設住宅へ行って、人を話をしたときも、涙が出るようなことをいーっぱい聞きました。それはね…頭の中に全部残ってますけど、
口ではちょっとどう言っていいのかわからない。それくらい、ひどい目にみなさん遭われているんですよね」
――そんな中で、寛平さんが思われた「できること」とは?
「やっぱり、みんなが忘れずに助け合って、少しでも前向きに進んでいくしかないんですよね。いや、被災地の人、被災地ではない人、それぞれで思いだしたくないという人おるのもわかるんですよ、もちろん。せやけど…せやけど、みんなで復興に向かっていかないといかんと思うんです。それに被災してない人だって、いつ災害に巻き込まれるか、わからないわけですからね」
――福島を走ってみての感想を教えてください。
「走ってる範囲でしか僕は見てないんですけど、ええとこやねえ。って、誰がエテ公や。…誰もツッコんでくれへんのか(笑)。でも本当、ええとこやと思いました」
――福島の原発事故で避難を強いられた人には、どんな思いを?
「逃げた人はとりあえずどうなるかわからへんし、とにかく逃げた。ほんま家に帰りたいでしょうし、悔しいと思いますね。『なんでやねん!』と。なにがどうなってるか、見えへんわけやからね。ゴールでも言うたんですけど、だから人がいなくなってしまった。途中、食堂とか寄ろうと思ってもたくさん閉まってるから『どうしたん? 今日休みなん?』と聞いたら『いや、みんな出て行ってしまった』と。それはもう、つらいしさみしいですよね。それでも、僕が言う言葉があるとすれば『前向きに考えて、辛抱していきましょう』しかない。ただ、その代わり『我慢せずなんでも言いましょう!』。そう思うんです。みなさん我慢強くて、だから我慢我慢してると思うんです。でも、言いたいことはどんどん言って。ぼくもそのお手伝いをしていきたいと思いますし、またみなさんのところに伺うつもりでおります。幸い、訪れた先ではすっごく喜んでいただけたんですよね。ちょっともう、天狗になるんちゃうかってくらい、ウケた(笑)。でも、帰り際にはみなさんすごくさみしそうな表情をなさっていて…だからまた、必ず行きますから!」
――夏休みということで、沿道には子供たちが多かったと思うのですが。
「もうね、『かいーの!』を子供たちに『もっとやれ!もっとやれ!』言われてね(笑)。たくさんやったんですけど、これからもどんどんやらないかんなと。子供たちのためにも。だって、僕も孫が3人いてるんですけど、見てると思い出すもんね。一緒やもん。そんな3、4歳の子が『寛平ちゃん、頑張って』言うてくれるんですよ。それに90過ぎのおばあちゃんとかが『寛平ちゃん、ありがとう!』言うて。ものすごい力になりましたし、涙出ましたよ」
――ケガはなかったですか?
「いや、ありましたよ。見てください、これ。巻き爪になってもうて、めっちゃめちゃ痛いんですよ。だからシューズを切ってもらって。でもね、アースマラソンでは『しんどい』とか『つらい』という瞬間がありましたけど、今回はまったくなかったです。そんなことより、東北のみんながどんだけしんどい思いを、どんだけつらい思いをしてるか。そんなことを考えたら、まったくなんともない!」

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――あの…「ウンバラバー!」は“運をばらまく”というような意味ですか?
「そんなことはまったく考えてないんですけど(笑)…それ、いいですね! そういうことにしておきましょう! あのね、ウンバラバーというのは、運をばらまくという意味があるんです!(笑)」
――今回、ラストランということですが、ゴールしてさみしさとかはないですか?
「まったくないですね。もういいです」
――最後に東北の方々にメッセージを。
「今回、岩手、宮城、福島を走らせていただいて。僕は西の人間で、あまり東北のことがわからなかったんですけど、走ってみてほんまにすっごく東北が好きになりました。だからこれからもしょっちゅう顔を出しに来たいと思います。そしてみなさんに、僕からの精一杯の元気を送ります…ウンバラバー!!!」

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9日間ずっと寛平を支えた、奥さまの光代さんにもお話を伺いました。
「主人が走っている間、サポートで先回りして待ってるときなんかに、私も地元の方といろんな話をしたりしましたが、私自身も今回のマラソンは大きなものとなりましたね。夜、主人ともいろいろ話しましたけど、東北の人の大変さとつよさを感じましたね。今回で、長い距離を走るのはラストということですが、まだ十種競技を広める活動や、サイパンマラソンで10kmくらい走るとか続けていきたいと言ってますんで。最近になって『若い人にはかなわんわ』と言うようになったんですけど、私からしたら『やっと言ってくれたな』と(笑)。でも私自身、みちのくマラソンで初めて気づいたんですが、寛平を走らせているのは体力じゃないんですね。だって、アースマラソンから帰ってからほとんど走ってなかったのが、走れてしまうというのを見て『気持ちでこの人は走ってるんやな』って。ま、長い距離を走らないと思いますけど、東北は二人でまたゆっくり行かせていただきたいなと思います。それと、寛平個人で言いますと、やっぱり“芸人・間寛平”はいつまでも変わりませんからね。ええ、ギャグに年齢はございません!(笑)」

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【RUN FORWARD KANPEI みちのくマラソン】8月13日(月)~21日(火)
※到着地のカッコは、走った後で訪れた場所
・13日(1日目)岩手県山田町~大船渡市(浦浜サイコー商店会)
       ※応援ラン…陸中海岸青少年の家
・14日(2日目)~宮城県気仙沼市(復興屋台村気仙沼横町)
・15日(3日目)~石巻市(神割崎キャンプ場応急仮設住宅)
・16日(4日目)~石巻市湊町(渡波仮設住宅)
・17日(5日目)~仙台市ユリ上(若林区荒井小学校用地応急仮設住宅)
・18日(6日目)~丸森町(齋理屋敷)
       ※応援ラン…十三塚公園スポーツ施設
・19日(7日目)~福島県二本松(安達運動場仮設住宅)
・20日(8日目)~いわき市三和町(おのげんき農産物直売所)
       ※応援ラン…二本松市カントリーパークとうわ
・21日(9日目)~いわき市スパリゾートハワイアンズ
総走行距離…462km

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【間寛平】

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