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2015年11月13日 (金)

宮川大助・花子、自らの経験談を語る! 日本医療研究開発機構セッション「3つのLIFEはすばらしい~生命・生活・人生を考える~」

11月13日(金)、東京・都立産業技術研究センターにて、日本医療研究開発機構セッション「3つのLIFEはすばらしい~生命・生活・人生を考える~」が開催され、宮川大助・花子が出演しました。

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日本医療研究開発機構(AMED)は、今年の4月にできたばかりの新しい組織。今まで厚労省や経産省、文科省が進めてきた医療に関する研究開発を一元化して効率的に進め、新しい創薬や医療技術をできるだけ早く国民に届けることを目指している組織です。

本イベントのタイトルである「3つのLIFE」とは、生命・生活・人生のこと。AMEDでは、「3つのLIFEを具現化する研究者の支援者」として日々業務を行っており、「生命」は人間を対象とした生命科学を、「生活」は一人ひとりが幸せを感じながら生きていくために必要な医療、「人生」は個人の長期的な時間軸に沿った対応や、国・世界単位の社会的な医療ではないかとの考えから、3つのライフという視点で、非専門家の方々とこれからの医療のあり方を一緒に考える場を設けようと本イベントが企画されました。

登壇者はAMEDの理事長・末松誠氏、理化学研究所の高橋政代氏、進行役の読売新聞社 読売新聞調査研究部長の南砂氏、宮川大助・花子の5名。大助・花子はともに大病を患った経験があることから、自らの経験談、そこから学んだことや考えたことなどを中心にトークに参加しました。

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大助は2007年に脳卒中を経験。発症した当時のことを詳しく語ります。テレビ番組の企画で社交ダンスをやっていて、かなりハードな曲に合わせて踊っていたところ、リハーサル直後に頭からポン!と音がしたんだとか。直後、セミが数千匹体に入ったかのようなゾワゾワした感覚があり、そのうち体の左側がしびれてきて、当時のマネージャーに、「頭の線が切れた」と言ったんだそう。そのときにはもう立てない状態だったと語ります。

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花子も「私も彼の体の状態をよくわかっていなかったので、貧血かと思ったんです。『どしたん?』って聞いても、『あぁあぁ......』言うばかりで、しゃべれないんですよ。まぁ、ふだんと一緒なんですけどね(笑)」と笑わせますが、「塩分の多い生活してたんですよ」と自分の生活習慣が悪かったと反省する大助の言葉には「妻としてホントにダメだなと思いました」と当時を振り返ります。

たまたま近くに病院があったため、その病院の脳外科に行き、当時の医者には「クリーンヒットでしたね」と言われたんだそう。病院に来るのが早かったことと、脳外科に来られたこと、それからお酒もたばこもやめていたことの3つが幸いした、という意味だったそうで、それには花子が「お酒もたばこも止められたのは誰のおかげ?」と尋ね、「奥さんのおかげです」と大助に言わせていました。

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また、花子は1988年、33歳のときに胃がんを患ったそうで、そのときは大助が「女性は男とは体の作りも違って、体力にも差があるし、出産や子育ても大変だったのに、男と同じ働き方をさせてしまっていた」と思い、「オレのせいやと思いました」と後悔したと告白します。

花子は胃がんの手術後、5年ほど入退院を繰り返し、「病気というのは、手術をしたから終わりというものじゃないっていうことを感じた」と言います。当時、あまりに苦しく、いろいろ考えたあげくに離婚届まで書いたという花子。そんな経験を経て、今「人生というのは神様からのプレゼントやと思います」と実感を込めて話していました。

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また、「がんになった人から、がんについていろいろ聞かれるようになった」と話し、そんなときは自分の経験からわかることを話したあと、「大丈夫。あなたは3年後には元気になって、他の人にがんのことを教えてあげてると思うよ」と言うんだそう。それを聞いた大助が思わず「その優しさをオレにも少しくれたらいいのに(笑)」とグチっていました。

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そんな経験があるからか、病気のことは「辛いから忘れたいと思ってたんですけど、やっぱり人に伝えていかなければいけないと思った」とも話す花子。

患者としては決していい患者ではなかったそうで、あまりに辛くて何度も「死にたい」と言っていたんだとか。「一度、大助に『こんなに色んな人に助けてもらってよくしてもらってんのに死にたいんやったらオレが殺したる!』って言われて、病室の窓から落とされそうになったこともあります」と話す花子。「実際には落とされませんでしたけど(笑)」と冗談まじりに話しますが、当時のその状況を想像すると、2人ともかなり精神的に追いつめられていたことが伺えます。

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今は元気に見える大助も、病気の後遺症で体の左側がしびれているんだそう。体温の調節機能が正常に働かないようで、「4月、5月になってもスキーウェアを着てコタツに入ってもまだ寒かった」と語ります。それを直すには医者に「風呂上がりに水をかぶれ」と言われたそうで、今もそれを実践して、やっと少しマシになってきたと話す大助。

病気というのは、治った後もいろんな体の不調と付き合っていかなければいけないものだということを改めて感じさせる大助・花子のトークにお客さんも熱心に聞き入っていました。

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高橋氏は「患者さんの人生をどうやってハッピーにしていくかについて」をいちばんに考えていると話し、大助・花子と話しているうちに「本当に師匠と呼ばせていただきたいと思いました」と敬意を表します。すると花子がすかさず「じゃあ、28番めの弟子ですね(笑)」と言い、笑いを誘っていました。

末松氏は、医療の進歩の為には医師たちの情報の共有が不可欠だと話し、AMEDでは今後、より情報が共有できる方法を探り、実践していくと力強く語ります。

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最後のフォトセッションで、末松氏の似顔絵の立て看板と一緒に写真を撮りながら「これで営業回って資金稼ご(笑)!」と話す大助・花子。最後まで笑いを忘れず、明るく、でも真摯に自分の病気について話し、「3つのLIFE」の大切さを感じさせてくれるトークセッションとなりました。

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【宮川大助・花子】