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2014年4月 3日 (木)

間寛平、71歳で引退宣言!? 東京学芸大学の新入生歓迎講演会にサプライズゲストで登壇!

4月3日(木)、東京学芸大学で行われた『新入生歓迎講演会』に、サプライズゲストとして間寛平が登壇しました。

同大学健康・スポーツ科学講座の松田恵示教授に「今日はみなさんのために、わざわざ大阪からお越しくださいました。先ほど羽田空港に着かれたばかりです。この方です!」と呼び込まれた寛平は、スーツ姿で登場! 大きなどよめきが起こる中、早速「あめま~!」を披露し、「僕のお喋りが勉強になるかわかりませんが、1時間よろしくお願いいたします」と挨拶しました。

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まず、アースマラソンを始めようと思ったきっかけについて訊ねられたものの、マラソンを続けたきっかけについて話し始めます。

「僕は吉本興業に入ってるんですけど、昔は会社に迷惑ばかりかけていた。そんな時に瀬古利彦選手と走ってる夢を観たんです。それを身長85cmの、みんな知らないかもしれないけど、池乃めだかちゃん。身長85cmしかないねん」と笑わせながら、「そのめだかちゃんに言うたら、“いっぺん走ってみたら?”と言われて走り始めたら、吉本の偉いさんが聞きつけて、“走ってるらしいなぁ。青梅マラソンへ行って、3時間で帰って来たらギャラ倍にしたる”と言われて。結果、2時間24分で帰って来てギャラを倍にしたんです!」と力説。その後、挑戦したホノルルマラソンでは、郷ひろみさんが走った記録を抜いたらさらにギャラを倍に、できなかったら半分にするという条件で走り、見事に3時間13分で公約達成しました。
「僕のギャラがあがったことによって、新喜劇に出てるメンバー全員のギャラをあげたんです。僕があげたようなもんですよ!」と語りかけます。

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聞いていた松田教授に「アースマラソンまでたどり着きそうにないんですけど」と苦笑されると、今度は24時間テレビでの24時間マラソンについての話を。「マネージャーが勝手に“24時間走らせましょか?”言うたんですよ、勝手に。“寛平ならできます”って。当時は200キロ。新潟から走って、そこから24時間マラソンが生まれたんですよ!」と話すと、新入生からは驚きの声があがりました。

「世界の誰もやってないことをやろう。地球一周観てやろう」と思って始めたアースマラソンですが、挑戦の途中で思わぬ病魔を発見してしまいます。
「トルコで5つ細胞を取って調べたら、3つガンが見つかった。僕、血ぃ吸うたろか言うギャグやってるんやけど、毎日血ぃ吸われてたわ(笑)。で、全部調べたけど、転移してなかったから、薬で様子を観ながら走ってゴールしたら治療することにした。日本に帰って治療してから続けたら?と言われたけど、嫌やった。それなら死んでもええから(挑戦を続けて)ゴールしたかった」と頑な意思をのぞかせます。

「この地球はすごいですよ。色んな景色もあるし、色んな人もいる。みんな味わったことはないと思うけど、東に向かって、太陽が上がっていく方向に進んでいきますよね。すると、一周が終わる頃には東に進んでた僕が、西から帰ってきたんですよ。すごいよ!」と力強く発言。マネージャーとの2人旅では極限状態の中、さまざまな混乱や葛藤もあったようで、その壮絶さに「あり得ない経験が、どんどん人を変えていくんでしょうね」と唸る松田教授です。

弊社と学芸大学が提携して行っている「笑楽校」の校長でもある寛平。「僕は高知県出身で、同級生が6人しかいない過疎地で。たまに帰るんですけど、友だちは全員、猿です」とボケながら、「学芸大学と協力してやっているので、どんどんやっていかなあかんなと思ってますね」と意気込みます。

新入生へは「入学したばかりでこれからですけど、日々を大切にせなあかん。あとは、人とのつながりですよね。学校の先生に“人”という字は支えながら立っていると言われた時、なんやねんと思ってたけど、その言葉の重さも走っていてよくわかりました。一人じゃ何もできない。コーディネーター、通訳さん……だって、怖いとこ走ってんねんもん。銃を持ってる兵隊がいてんねんから。それに、44年間ずっと吉本にいますけど、多くの人に助けられた。めだかちゃん、(明石家)さんまちゃん、欽ちゃん(萩本欽一さん)、ビートたけしさん……本当に助けてもらいました」としみじみ。
途中、「干支は丑です!」と冗談を飛ばし、困惑した表情を浮かべた松田教授が講演を締めようとするも、「みんな、幸せやなぁ。いい大学入って。頭ええから入れたんやろうけど。僕のマネージャーについてくれた子も、ここの学校を卒業したんですよ」と自由に話しかけます。

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「寛平さんを今日迎え入れられたことは、学芸大学にとってもいいことですよ」と話す松田教授に、「ほんまですか?」とツッコみながら、最後の挨拶は「あへあへうひは、あへうひは」とらしい始まりに。

「友だちは大事にしていかなあかんし、いちばん大事なのは思うたことは口に出さないとあかんということ。ああしたい、こうしたいって周りの人に言うべきやね。じゃないと、伝わらへんから。それと、目標を持つことも大事。僕はこの年ですけど、6~7年後くらいまで目標はあります」と言いながら、今後の目標を発表!
「70歳でマスターズに挑戦したい。関西ではレギュラー4本あるんですけど、レギュラーだけをやり続けて、70歳で十種競技に挑戦して世界大会に出たい」と高い目標を掲げながら、「そのあとですよ! よう聞いといてください!」と力強く呼びかけて「そのあと、木の上で1ヵ月間生活したい」と宣言。「何言うてるか、わからないでしょ?」と話しかけた瞬間、笑い声が起こりますが、「でも僕の夢。木の枝と枝の間に横になったり、顔も洗わないですよ? トイレもそのままします。この生活を1ヵ月やりきって、71歳で芸人を辞めます」とキッパリ言い切ります。

「変わるかもわからんよ? でも、健康である限りは絶対やります。1人でデジカメ持って、自分で回しながらやります。皆さんは若いんですから、夢を持って人生を歩んでください。友だちをたくさんつくってください。その友だちが、自分を支えてくれるようになりますよ!」と語りかけながら、「約束ですよ! 71歳で木の上生活をやるんで。もし実現したら、みんな“ほんまやー!”って思うから! 手紙ください。木の上生活が終わって、木の上から降りたらここに来ます!」と約束。
あまりの熱弁にたじたじの松田教授が「お約束いただいたので、お楽しみ」と新入生へ語りかけると、「みんな、卒業してるでしょうけど、集まってもらいます!」と再集結を呼びかけました。

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「人間は辛くなるようにできている。さんまちゃんもダウンタウンも天才やと言われる以上、陰ではものすごい努力をしてます。だから、みんなもうらやましいと思うたらあかんねんで! 今後の日本を背負っていくのは君らなんやから。これからの人生、一生懸命がんばって!」とエールを送りました。


【間寛平】