最新ニュースインタビューライブレポート

« 守谷日和がついになんばグランド花月で初単独!「守谷have adream~NGK守谷日和~」への思いをたっぷり語る | メイン | ダイナマイト関西2014展 開催決定! »

2014年8月15日 (金)

「RUN FORWARD KANPEI みちのくマラソン2014」4日目終了!

KANPEIみちのくマラソン4日目は総監督の間寛平が南三陸町からスタート!天気は曇り。昨日の照りつけるような暑さから一転、走りやすいマラソン日和の中、赤パンツ姿で登場しました。

Dsc_0239



Dsc_0271



早朝からテレビ取材が入り、記者から「赤パンツの理由は?」と聞かれると、「洗濯が間に合わんかってん。でもこれは勝負パンツ!4日目は勝負パンツや!!」と朝から気合は十分です。

午前8時。スタート地点である南三陸町の海沿いの街道から、「ちゃっちゃマンボちゃちゃマンボ」と、疲れを感じさせないギャグを披露した後、本日も元気一杯にスタートしました。
途中、走っている寛平の姿を見かけた方々が、先の休憩ポイント付近にお住まいの皆さんが暖かい声援を掛けたり、握手を交わしたりすることで、逆に元気を注入してもらったようでした。

Dsc_0336



Dsc_0402

そして、じりじりと気温も上がりだした頃、次の走者である、宮城県住みます芸人の爆笑コメディアンズ・秀作にタスキを繋ぎます!宮城で活動する後輩に「頑張ってこいよ!」とエールを送りました。

Dsc_0435

南三陸町を走り終えた寛平は、「走ってみて感じたけど、やっぱりこの辺りはまだまだ変わってなくて大変やなと感じた。地元の人も言っとったけど、海沿いは時間がかかるねんな。どれくらいの時間がかかるか分からんけど、復興するまでは、このみちのくマラソンは続けていきたいと思う。」と、現在の状況を実感し、そして、みちのくマラソンへの思いを新たにしていました。

Dsc_0447

爆笑コメディアンズ・秀作は、寛平からタスキを受け取ると、重みを感じたという。今まで受け継いできたランナーたちの思い・・・と言えば美しいが、どうやら物理的に重い。汗を大量に含んだタスキは、革のベルトのようにズッシリと重くなっていました。

秀作も走り始めて10分も経たぬうちに大量の汗が吹き出します。幸い天気は曇りのため日差しは弱かったが、担当するコースは石巻市北上町周辺の山道。恐ろしい ほどの上り坂と下り坂の連続は、一気に足に負担を与えました。さらに4つのトンネルを通過すると、まるで夏場にデパートを繰り返し出入りしているように寒気と蒸し暑さが交互に襲ってきました。学生時代は生徒会とオーケストラ部だった文化系男子には過酷な道のり。時々見える海の景色は美しかったが、対面の抉られた山肌を見ると津波被害の爪痕もうかがえて胸が苦しくなりました。沈む気持ちと疲労でペースが落ちそうなところを助けてくれたのが、沿道の声援。通行人すらいないと思っていたところ、背後から追い抜いた通行車が先で停まり、車から降りて「がんばれー!」と手を振ってくれるご家族もいました。秀作もそれに応えようと「どうも!爆笑コメディアンズです!宮城県でテレビやラジオに毎週出演してるよ!ツイッターもフォローしてね!」と、端的ながらも猛烈アピールをしました。

暖かい声援に背中を押され、あっという間に15キロを完走。タスキ受け渡し地点に到着。次のランナー、東北住みます落語家の笑福亭笑助。にタスキをつなぎました。
笑助は、東北各地を落語の力で盛り上げようと、4月から山形県に住み活動を開始しました。今回が寛平マラソン初参加。被災地を走るのも初めてなので、被災地の景色を目で見て、風化させないようにしたいと語っていました。

Dsc_0480



Dsc_0497



Dsc_0516

コースは山道が多く、急激なアップダウンが続きます。さらに途中から、日差しが照りつけ風も少なくなり、苦しい状況かと思われましたが、疲れを感じさせない快調な走りを見せました。コースは女川町へ入り、(有)千葉肥料でゴールました。

Dsc_0784

過酷なコースではありましたが、約20キロを完走!初めてマラソンに参加し、被災地を走って情景を見たが、震災当時住んでいた方々の不安をは相当なものだったのではないかと感じた。改めて震災のことを肌で感じ、また風化させないようにしたいと熱い思いを語りました。
本日は、3人で約50キロの道のりをつなぎました。


【間寛平】