桂文枝が芸能生活50周年記念『「桂文枝 半世紀落語会」〜三枝から文枝への奇跡〜』開催! ゲストの桂歌丸さんに感激
2016年12月1日に芸能生活50周年を迎えた落語家・桂文枝。これを記念したさまざまな企画の第一弾、芸能生活50周年記念『「桂文枝 半世紀落語会」〜三枝から文枝への奇跡〜』が、3月4日(土)、なんばグランド花月で開催されました。
披露する落語は三席。まずは三枝時代につくった「背なで老いてる唐獅子牡丹」です。マクラでは、まずこの日ゲストとして出演する桂歌丸さんへの感謝の言葉を。お客さんから万雷の拍手が巻き起こる中、「入退院を繰り返しておられましたから、本当に心配しておりました」と歌丸さんの体調を気遣いながらも「安心してください、入ってます!」と景気付け、これまたお客さんから拍手! また、師匠である五代目の、玉出の家に弟子入りとして住んでいた頃の思い出話も織り交ぜます。客席が大いに湧いたところで、「背なで老いてる唐獅子牡丹」。任侠の世界も高齢化が進み、組長は90歳、若い者でも60歳を過ぎている始末。とにかく子分に連絡を取るものの...。
二席目は、文枝の271作目となる最新作「大・大阪辞典」。マクラでは、文枝が三枝時代にブレイクしたきっかけとなったテレビやラジオの話。「僕の頃は大阪制作のテレビ番組やラジオ番組が全国ネットやったから、東京に行く必要がなかったのが幸せでした。大阪の人に愛していただいて、やっぱり大阪はええなと思います。東京から帰ってくるとホッとする。東京の人からしたらガラ悪いんちゃうか? と思うかもしれませんが、温ったかい」と大阪への想いを語り、「大阪はお店の人もなんかおもろい」と、寿司屋や散髪屋で出くわしたおもしろエピソードも披露。その流れから「大・大阪辞典」へ。大阪出身の夫が転勤で大阪勤務となり、東京出身の妻が大阪辞典で大阪という土地の予習をするというもの。日頃、何気なく使っている大阪弁や風習ですが、そのたび衝撃を受ける妻の様子にお客さんは大笑いでした。
続いて桂歌丸さんの登場です! 酸素ボンベを着けたまま登場した歌丸さんは、これまでの体調の変動を説明しつつ、「病院で冗談を言うもんじゃない」と入院中のエピソードも披露。さらに「笑点」にまつわるとっておきの話を明かし、会場を大いに沸かせていました。
仲入り後、古典落語「愛宕山」が始まりました。マクラでは、笑福亭松鶴さんとの思い出話をお披露目。また、かつて大阪でも京都のようなお座敷があり、三枝時代の42歳の頃にミナミにあった料亭のお座敷で落語を披露したエピソードも。4人の前で落語を披露したそうですが、そのひとりが91歳の松下幸之助さんだったと明かし、お客さんからどよめきが起こりました。そして古典落語「愛宕山」へ。落語を終え、幕が下りるのを止める文枝。改めて深々と頭を下げ、「3月12日が師匠の命日です。50年、こうしてこれたのもご贔屓にしていただいた皆様のおかげです」と感謝の言葉を。お客さんから花束が贈られ、改めて深々と頭をさげる文枝に大きな拍手が贈られました。
公演後、囲み会見が行われました。文枝は「今日はお忙しい中、ありがとうございました」と改めてお礼の言葉を。さらに「50年やらせていただいて、こうして元気に迎えられたことを皆さまに感謝してやらせていただきました」と続けました。桂歌丸さんについても想いを語りました。「歌丸師匠は途中でいろいろあって、大丈夫かなということもあったんですが、来ていただくことができました。前は舞台へ出るときは酸素吸入を取ってらしたんですが、今日は酸素吸入を付けたままで、『こういうことになりました』とおっしゃって。そこまでして来ていただいたことに、舞台の下手のところから見ながら、涙が止まらないような感じでした」と歌丸さんへのあふれる想いを語る文枝。また、幕が閉まっているところで、ふたりで記念写真を撮影したことも明かしました。
続いて本日の演目についての感想も。「自分の50年の歩みの中で、自信のあるやり慣れたものを3つやりたかったんですけど、どうせならということで、三枝時代につくった作品と、文枝になってからの271作目になる最新作『大・大阪辞典』をやらせていただきました。古典の『愛宕山』も初めてでした。これは文枝師匠に習ったことは習ったんですが、やったことがなかったので、48年ぶりにやりました。いちから唄の稽古に行ったり、パントマイムを習ったりとかいろいろやりました。この三席をやるのは大変でしたけど、思い出深い三席になりました」としみじみ。また、『大・大阪辞典』について「新しくつくったものは、どこにもかけたことがなかったんです。他の会なんかもあっていろいろ大変だったんですが、皆さんによく笑っていただいて、自分でもびっくりするぐらい『あれ? なんでやろう』というぐらい、上手くやれてよかったなと思います」と満足の様子。「自信のあるやり慣れたものをやるよりも、ひとつずつ新しいことにチャレンジしていくのが僕の姿勢。『僕は人生の旅人や』という意味で、(落語会の中で)加山雄三さんの『旅人よ』を使わせていただきました。そのことをあらかじめ加山雄三さんにLINEをさせていただいたら『使っていいよ』と」とのこと。文枝と加山雄三さんはLINE友達だそうで、「加山さんには新しい落語ができたら送って、加山さんのいろんな批評を聞きながらやってきました。また今回、新しい落語が送れるのを嬉しく思っています」と笑顔を見せました。
芸能生活50周年を記念した今後の企画への願望も。「私のやってみたいこととして、富士山の上でやってみたい。僕は富士山が好きで、十数年前に一度だけチャレンジしたんですが、残念ながら9合目のところで高山病になって失敗したんです。でも、これまで諦めずに何事もやってきたので、できれば富士山に登って富士山の上で落語がやりたいと思っています」と意気込みを語りました。
質疑応答では、「幕が閉まっているところで歌丸さんとどのようなお話を?」という質問が。文枝は「いやもう、言葉にならなかった。この会に来られたことを本当に喜んでくださいました」と感慨深げ。さらに「前までは、舞台の袖まで酸素吸入をやっておられたんですが、今回はお座りになってる後ろに酸素の機械を置いておられて、それが痛々しくて申し訳なかったなと思いました。落語家の義理と人情を教えていただいた」と感謝しきり。「舞台は15分、20分ですが、移動の往復の5時間は大変だろうと思うと、これで悪くならないように祈るばかりです」と歌丸さんの身体を気遣いました。
「ずっと思い描いていた50周年が現実になったご感想は?」との質問には、「ここで終わるわけにはいかないので、本当にやっと終えたなという想い。悔いのないようにこの会をやりたいと思っていましたから、自分の中ではできる限りのことをしたつもりです。また明日から今度東京でやるネタをつくりはじめないといけないので」と足を止めることなく前進の文枝。「でも、ただつくるだけじゃなくて、つくったものをもっと面白くなるように練り上げていきたいです」と意欲を語りました。この日にはじめてお披露目した271作目『大・大阪辞典』も「本当はもっとあるんです。今日はやりながらカットしたところもあるので、今後はそういうのも入れながら、練っていきたいです」とも。
「健康でお元気で50周年迎えられるのはすごいなと思います」との言葉には「自分でも、それだけはよかったなと思います。同じような年恰好の、2つ3つ上の方がお亡くなりになったりしていますので、『あと2年ぐらいしか残ってないな』と思ったりもするんですけども、でもそれは神様が決めること。自分はとりあえず300作に向けて落語をつくり続けていきたいと思います」と創作落語300作に向けての意欲も話しました。
「富士山の上で落語をするツアーのイメージは?」との質問には、「僕のイメージとしては、記者の皆さんと一緒に(笑)」とのことで、記者陣も大笑い。「本当に高齢化社会で、今から8年後には今団塊の世代の方が75歳になります。だからみんな足腰を鍛えておきましょうというようなことを自らアピールしたい。それを記者の皆さまに伝えてほしい」とやる気満々。
富士登山の経験がある宮川大輔にもアドバイスをもらっているそうで、「何度もアドバイスを受けました。『大変でっせ。富士山は見た目はこう(手で富士山の形を描いて)なってるけど、実際に行くと違うんです。近くに寄るとこうなってないんです』と言われるんですけど、それでもやっぱりチャレンジしたいと思います」と願望を口にしました。
芸能生活50周年を迎えた落語家・桂文枝をお祝いする、今後も行われるさまざまな企画にどうぞご期待ください!
【桂文枝】