2025 日本万国博覧会誘致委員会・発足式典にアンバサダーとしてダウンタウンが出席!
3月27日(月)、東京・経団連ホールにて「2025 日本万国博覧会誘致委員会・発足式典」が開催され、アンバサダーとしてダウンタウンが出席しました。
本式典は、2025年に日本万国博覧会(会場予定地・大阪市夢洲)の誘致実現に向け、官民共同の誘致推進組織である「日本万国博覧会誘致委員会」の発足を記念して行われたもので、国内の誘致実現に向けたムーブメントを盛り上げるべく、アンバサダーとしてダウンタウンが出演しました。
一般社団法人 日本経済団体連合会会長・榊原定征氏、経済産業大臣政務官・中川俊直氏、2025年大阪万国博覧会を実現する国会議員連盟会長・二階俊博氏の挨拶が行われたあと、委員会の会員である京都大学iPS細胞研究所所長・山中伸弥教授からのビデオメッセージが流れます。
続いてアンバサダーであるダウンタウンが呼び込まれ、登壇。開口一番、浜田が「松本さんどうします? この空気」と、会場の空気を察して言うと、松本も「まったく笑いのない状態で......。我々でよかったんでしょうかねぇ。中川家ぐらいでよかったんじゃないでしょうか」と自信なさげ(?)に発言したため、会場からは若干の笑いが起こっていました。
「どうもダウンタウンでございます。よろしくお願いいたします」と改めて2人で挨拶したあと、「でも浜田さん大阪のこと忘れてますもんね」と松本に言われた浜田が「そんなことないですよ。ちゃんと大阪でも仕事してますし、大丈夫です」と返すと、「浜田さんこういうの大好きですもんね、大使とか。ノリノリじゃないですか。僕は30分前に入りましたけど、浜田さんは前乗りしてたとか」と話す松本に、浜田は「なんでやねん(笑)。やったことないわ、大使とか今まで」と苦笑します。
さらに、「浜田さんのお父さんが1970年の大阪万博の時に、ペンキ屋さんでソ連館を塗ったっていう」(松本)「そうなんです。だから今回、大阪に万博が誘致されれば、ジジイですけどちょっとだけどっか塗らしてあげてほしいですね(笑)」(浜田)「8年後ですけど、大丈夫ですか?」(松本)などというやりとりがありつつ、2025年の万博誘致について、「がんばって、なんとか2025年といわず、来年できるように」と松本が発言したため、会場から笑いが起こると「やや、ウケ出したのかな?」と会場の空気を察する松本。
日本万国博覧会誘致委員会のアンバサダーとしての立場を「いわばこれ、我々はオリンピックの滝川クリステルみたいな位置ですから」と松本が話すと、浜田も「まぁ、あそこまで上品ではないですけどね」と同意します。すると松本が「向こうは『おもてなし』でしでやってましたから、ウチはもう『なにもなし』ということで」とダジャレを言いますが、そのダジャレに会場がかなり沸いたことを感じた浜田が「お、これどんどんウケてきたよ」とうれしそうに実況していました。
また、1970年の大阪万博時、小学4年生だったという2人が当時の思い出を聞かれて、「もちろん万博は行きました。休日は混むからといって平日に行った気がするけど、ほとんどのパビリオンが混んでて、カナダ館だけ入って帰った思い出がありますね。バッヂをもらった気がします。太陽の塔は人気で入れないんですよね」(松本)「アメリカ館も全然入れなかったですね。"月の石"を置いてたから。僕もケニア館ぐらいしか入ってないですね。親父が『俺は現場におったからなんでも知ってる』って偉そうに言うから着いてったら、どこに何があるかさっぱりわからへんかったっていう。あとフジパンロボット館でロボットとじゃんけんしました」(浜田)と、当時の子どもらしいエピソードが飛び出します。
最後に、「日本では20年ぶり、大阪では55年ぶりにぜひ大阪で万博をやっていただいて、大阪だけじゃなく日本中を盛り上げていこう、国をあげてがんばろうじゃないかと」と代表して浜田が発言すると、「大丈夫ですか? 8年間、本当にあなた何も問題を起こさないでしょうね。それだけが心配なんですけど」と松本が水を差し、ここでも会場は笑いに包まれていました。
これからも2025年の大阪万博を実現させるべく活動していくダウンタウン。これからのアンバサダーとしての活動もおおいに楽しみです!
【ダウンタウン】