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2017年9月 4日 (月)

桂きん枝「四代 桂小文枝」襲名へ!浪速 高津宮で発表会見「一歩一歩、師匠に近づけるよう頑張りたい」

五代目 桂文枝(三代目 桂小文枝)の弟子である桂きん枝が、2019年3月に上方落語の名跡「桂小文枝」を襲名する運びとなりました。

明治時代、桂派と三友派に分かれて競い合い、興隆をきわめた時期に、初代 小文枝は二代目文枝のもとで桂派の後継者として名乗り、憧れの名に育て上げました。二代目 小文枝は「三十石」を十八番とし、大正時代に落語人気を支え、小文枝の看板を一回りも二回りも大きく。そして、きん枝の師匠である三代目 小文枝(五代目桂文枝)は、上方落語四天王のひとりとして、上品ではんなりとした芸風が多くのファンを集めました。

その名跡「桂小文枝」を襲名するにあたり、9月4日(月)、浪速 高津宮にて発表記者会見が行われ、きん枝と桂文枝、桂文珍らが出席。襲名についての思いや意気込みなどが語られました。

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冒頭、司会を務める桂坊枝が、名跡の歴史を紹介。関係各位ならび五代目文枝の親族、門弟の総意により襲名が決定し、2019年、実に27年ぶりに「小文枝」が復活することなども説明されます。

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その後、桂文枝、桂文珍、吉本興業代表取締役社長・大﨑洋、同会長・吉野伊佐男が会見場へ。さらに、きん枝も登場し、いよいよ会見がスタートします。

吉野会長は「非常に気にかかる噺家であるきん枝くんが、小文枝という名跡を継ぐことを、個人的に大変喜んでいます」とコメント。きん枝の亡き母・立入春子さんの口癖などもからめつつ、「大きな名前を継ぐのは大変おめでたいこと。名前に恥じぬよう、これからまた一生懸命精進していただきたい」と祝福しました。

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続いて挨拶に立ったきん枝は、「師匠の弟子の大半が小文枝時代に弟子入りしており、師匠自身も『小文枝』という名前に非常に愛着をお持ちだった。常々、『この名前には、もひとつ上があるねんけど、気に入っている。艶があって愛嬌があって品がある』とおっしゃっていた」と振り返ります。また、「私もいろいろ悩んで、『(襲名して)いいんかいな?』と思った」ものの、先輩に相談したところ「きん枝くんなりの『小文枝』を作っていけばいい。噺家で生きているということが『小文枝』やねんから、それでええやんか」と言われたこと、そして門弟一同や五代目文枝の遺族、吉本興業からの後押しもあり、「やっと踏ん切りがつきました」と心境を告白。「70歳近いので、あと何年頑張れるかわからないが」と前置きしながらも、「一歩一歩、師匠に近づけるよう頑張りたい」と力強く語りました。

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兄弟弟子の文珍からは、笑いを交えたメッセージが。開口一番「もともと私は反対やったんです。というのは、頼りないんですね。小文枝に憧れて(一門に)入ったのに、そんな頼りない人にやらせてええのかいな、という意見もあった」と切り出し、これにはきん枝も苦笑いです。「でも、よくよく考えてみると、この人は非常にやさしいええ人。ただ、間合いが悪い人でしてね」と、弟子入りをした頃、ふたり同じことをしても、なぜかきん枝だけが師匠に怒られていたというエピソードを披露。「私と同じことをしてるのに、いつも(きん枝だけが)どつかれる。でも、どつくには愛情がいるんです。愛情があって、師匠が『この子をなんとかしてやろう』とおやりになってることに気づき、私は嫉妬しました。それぐらい、師匠が気にかけている彼でした」と、当時の様子を語りました。この後もマル秘エピソードを暴露するなど言いたい放題の文珍に、きん枝が思わず「頼むわ!」と止めに入るひと幕も。「ほぼ同期」というふたりならではのやりとりで何度も笑いを誘った文珍は、「きっと新しい『小文枝』ができる」と確信していました。

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きん枝の兄弟子であり、上方落語協会会長の桂文枝は、会見場となった浪速 高津宮との縁についてもコメント。「五代目文枝が病院を抜け出して、最後の落語をしたのが高津宮。境内には碑が建っており、我々にもなじみの深い場所です。また、仁徳天皇が来られて歌を詠まれたところでもあり、先日、仁徳天皇陵を含む百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産国内候補に選ばれたことから、こういうおめでたい年にここで発表できることに、非常に縁を感じます」と述べました。きん枝については、「はっきり言って、一門の問題児だった」としながらも、「大変、面倒見がいい。気がいいのに加えて物怖じしない。師匠の襲名の時やいろんな賞を受賞する時など、本当によく動いてくれた。私が(上方落語協会)会長になってからも、右腕となり繁昌亭の建設、協会会館のことなど、非常によくやってくれました」。また、五代目文枝夫人・長谷川君枝さんから何度も『きん枝を小文枝に』と言われており、「できれば何か賞を獲って、箔を付けてから...とお答えしていたが、『私ももう年やから、目の黒いうちに小文枝という名前を復活させてほしい』という切なる願いを受けた」ことも、襲名の後押しになったと明かしました。襲名に向けては、「まだ時間がありますので、落語の方もしっかりやってほしい。本人は落語に愛着を持っており、やる気は満々。ええ『小文枝』ができたなと思っていただけるように、努力していただきたい」と激励。さらに「襲名後、彼のことを小文枝くん、とは呼びにくい。小文枝になりましても、私は愛称の『きんちゃん』で通そうと思っております」とも付け加え、四代 小文枝に期待を寄せました。

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87歳で、この10月には数えで米寿を迎えるという五代目文枝夫人・君枝さんからは、なんとLINEでメッセージも。坊枝の代読により「十代で入ってきたきん枝は、お父ちゃん(五代目文枝)が、いろいろな意味で一番手を焼いた弟子やと思います。けど、怒りながらもお父ちゃんは、きん枝のことがかわいかったんやと思います。お父ちゃんが一番長く名乗っていて、最も愛着のある名前を継ぐことで、これからさらに落語に精進して、天国のお父ちゃんを喜ばせて、背中を押してくれた皆さんに恩返しをしてください。老婆心ながら、四代桂小文枝を何卒よろしくお願い申し上げます」との言葉が贈られました。

質疑応答で、襲名の日程についてきかれたきん枝は、「師匠の奥様がご高齢のため、記者会見だけでも先にやらせていただき、襲名興行はこれから準備していく。再来年のご命日の3月12日に、ひとつ目の興行ができればと思う。自分もちょうど50周年を迎える節目なので、それと一緒にできたら」と回答。繁昌亭が誕生してから、より落語への思いを強めたように思われるが...との問いには、「年齢的にも、また(上方落語協会)会長の一門ということもあり、繁昌亭ではどうしても出番が奥になってくる。いろんな噺が先に出たら、もうそれはできなくなるので、せっぱ詰まって増やしてきたというのが実情です」。一方で「この頃、やっとわかるようになったが、落語というのはふんわり覚えるもんやな、と。若い頃はこうせなあかんというのがあったが、落語は世界観、空気感があれば...」とも感じているそうですが、これには文枝が「それは間違い。しっかり覚えて、ふんわり覚えて、両方やらな」とピシャリ。この後も兄弟弟子から随所にツッコミが入り、そのたび大きな笑いが起こります。

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襲名の話が持ち上がったのは、今から3年ほど前。「正直言って荷が重いということで、お断りもしていた」そうですが、「やはり、いろんな方の意見を聞いて、そうなんだな、という気がしましたので」と、決断にいたった経緯を語りました。

「上方落語会きっての愛されキャラ」である理由については、「別に、かわいがってもらおうと思ってやってるわけではないんですが」と、きん枝。「この世界に入った時に思ったのは、『人の悪口は言わない』『最終的に自分で責任を取る』『相手のことをまず考える』ということ。協会のことに関しても、常にそういう気持ちでやってきた」と話します。文枝からは「辛抱強いですね、意外と。いろんな方にいろいろツッコまれても、じっと耐えて、笑いながらうまく受け流して。そういうところは本当に助かっている」と称賛の言葉も飛び出しました。

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会見の最後には、大﨑社長が挨拶。「吉本の社員は、ひとりひとりの芸人さんと思い出がある」と言い、文珍、文枝、そしてきん枝との楽しくユニークなエピソードが続々。「御三方の話を聞いて、自分の入社の頃を思い出し、『これからも会社を挙げて頑張らなあかんな』と思っている。今日から心新たに、みんなで頑張りたい」と締めくくりました。

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会見終了後には、境内にある「五代目桂文枝之碑」とともに写真撮影をしたきん枝。ゆかりの地での襲名発表を終え、改めて表情を引き締めていました。

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