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2017年11月 2日 (木)

宮川大助・花子が平成29年秋の褒章で紫綬褒章を受章

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宮川大助・花子が、平成29年秋の褒章にて紫綬褒章を受章しました。

紫綬褒章とは、日本政府から学術、芸術、技術開発などの功労者に授与される褒章。このたび、宮川大助・花子は、夫婦漫才に新たなスタイルを打ち出したという点で功績が称されました。

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11月2日の発表に先立ち、10月31日(火)、大阪市内のホテルで会見を行い、大助・花子が紫綬褒章受章の喜びを語りました。会場に姿を現し、着席の前に深々と頭を下げたふたり。「今年はとくに、大助・花子にとって激動の1年といっても過言ではない、大変な1年でした」と花子。今年3月に、大助が腰部脊柱管狭窄症のためにより手術。さらに5月には感染症による二度目の手術。続いて6月にグラム陽性菌敗血症により三度目の入院。9月になんばグランド花月にて舞台復帰を果たしました。花子はその激動の日々を振り返り、「最初、紫綬褒"しょう"と聞いたとき、また新しい感染"しょう"になってしまったのかな? と思ってしまいました。こんなに素晴らしい章をいただけると思っておりませんでした。本当にありがとうございました」と感無量。

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すでに感極まり、唇を固く結んだ大助は、まず「感動しています」とひと言。「自分たちは、漫才大賞や新人賞、努力賞など、そういった目の前のレースが賞だと思っていました。だから、まさかこういう形のものをいただけるとは、本当に思いもよらなかったです。いちばん最初に顔が浮かんだのは、自分を産み育ててくれた親と、小学校の時の担任の先生です。僕は子どもの頃はいたずらばかりしていて、いくら悪いことをしても先生は抱っこしてくれ、怒らなかった。その先生方の顔が浮かびました。そして吉本をはじめ、自分の師匠、友だち、仲間、先輩、両親、本当に、すべての良き人たちに守られてきたなと感じます。皆様に僕らは育てていただいたんだろうなと感謝しました。本当にありがとうございます」と話すその目にはうっすらと涙が。

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「今回の褒章で、どういう点が認められたと思われますか?」との質問には、「とにかくびっくりして。大助は2月28日から闘病生活を送っていましたので、『まさか』という気持ちでいっぱいでした。自分もホッとしたところなので、想像がつかない」と花子。大助は、「僕らはずっと仲がよい夫婦で続いてきたのかというと、そうじゃありません。漫才のためにケンカばかりしながら、女房も自律神経がやられてしまうほど稽古をしたり、ずっと漫才ばかり考えてやってきました。その中で、ひとりの子どもを育て、子どもの笑顔が支えでした。そして花子のお母さんが僕らの仲裁してくれました。お母さんがニコッと笑って料理を出す、それが和合の薬だったんです」と明かしました。そんな漫才尽くしのふたりが転機を迎えたのは、1988年。花子の胃ガンが発覚した時でした。「女房が胃ガンをやったあたりから、夫婦のあり方、夫婦の良さを考え出しました。『うちも、大ちゃん花ちゃんところの夫婦みたいやってよく言われるねん』と言われるのがいちばんうれしいです。そういう形の夫婦円満さを、世間の人たちに知ってもらい、『あんな夫婦いいな』と思ってもらえるのが目標でした。僕らは漫才が下手くそで出発したものですから、殴り合いするほど稽古しないとついていけないのが現実でした。だから、それでも子どもを育てながらがんばったうちの奥さんに『おめでとう』と言ってあげたいです」と一気に語り尽くしました。

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この言葉を受けて、花子は「いま、大助くんに言われる前に、私は大助くんに言おうと思っていた言葉があるんです。今回、受章した理由をマネージャーに聞いたら『夫婦漫才です』と答えが返ってきました。いつか、夫に本当に言わなあかんなと思っていた言葉を、この場を借りて言わせていただこうと思います」と切り出しました。

「漫才に誘っていただいて、本当にありがとうございました」。

その言葉に大助は号泣。

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続けて花子は、これまで抱いていた自分の想いを明かしました。「夫が『漫才しよう』と言った時から、ずっと私は『いつか辞めよう』と思っていました。そして自分が病気になり、その時に『辞められるかな』と思ったけど、お客さんが待っていてくださり、会社の支援もあり、すぐ復帰の舞台も用意してくださり、『辞める』という言葉が出せませんでした。そして10年前の2007年2月に夫が倒れた時、『これで漫才は終わったけど、夫婦の生活が始まるんだな』と思って病院に行った時、夫が『いや、違う。ひとりで舞台立ってくれ』と言いました。私は何かわかりませんでしたが、ひとりで舞台に立たせていただきました。そして今回、夫が倒れた時にみんなにこう言われたんです。『大助が、ずっと選んできた漫才の道やから、花子ひとりだけでもセンターマイクを温めておけよ。それをすることで、大助が戻れるんだから』と」と、夫が舞台に帰れるようにとマイクを温め続けた花子。そんな気丈な花子も、深く落ち込んだことがありました。「でも、また感染症になったりして。今年は私、くじけてしまって。五木ひろし座長の新歌舞伎座で『夫婦善哉』に出演した際、ひとりで着物を着る時に、『夫が入院してるのに、私は何をしているんやろう』とずっと落ち込んでいました。病院で、大助くんに『もうあかんわ、私。落ち込んでるわ』と打ち明けたら、『みんなが心配しはるから、元気出して』と、病院の天井を見ている大助に励まされました。今年前半から秋口にかけては『もうアカン』と思っていました。それが、こういう大きなご褒美を頂戴することができて...。これは、『文化庁芸術選奨』をいただいた時に私が大助にかけた言葉なんですが、もう一度、大きな声でかけたいです。『漫才に誘ってくれてありがとう。そして、この私をどこまで大きくしてくれるねん』と」と改めて大助にお礼を。

また、紫綬褒章の偉大さを大助が語る一幕も。「これまで、大阪でもらわれた方が夢路いとし・喜味こいし師匠です。ご縁があって、受章パーティーに参加させていただいたんですが、大先輩の、僕らが神様仏様と崇めるような存在でしたので、そういう方がもらうものだと思っていました」としみじみと語りました。

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1979年2月に結成した宮川大助・花子。先に大助が語ったように、夫婦漫才の道は山あり谷ありだったといいます。

大助は「僕らは漫才レースの中で、デビュー当時から戦うように、勝つために攻撃型の漫才をやってきました。本当にバトルのような毎日でした。レベルが低かったから、稽古しないとついていけなかった」。1日10時間の稽古、ときには夜中まで公園で稽古を重ねたと明かします。「稽古のときはまともじゃなかった。嫁はんも気が強いから、『何でそんな言い方されなあかんねん!』って。僕が1発叩いたら、嫁はんが4発叩いてきて、僕、奥歯1本抜けました。近所のおばちゃんが『つかみ合いの大げんかや!』と騒いだら、花子のお母さんは慣れてはるから『ああ、漫才の稽古、やってますねん』と。どんな稽古やねん、いうてね(笑)。だから子どもにとっては、当時は決していいお父さん、お母さんじゃなかったと思います」と、まさにバトルのような稽古を重ねていた時代が。「女房のほうは子育ての最中に稽古もして、その成果があって賞をいただけたんですが、賞をいただいても女房には『賞を眺めるな。次の目標、次の目標』とすぐに賞状を納戸に片付けてしまったんです。今思えば、女房にはかわいそうなことをしました。次第に女房は『漫才のレースに勝っても、あなたのもの』という発想になり、夫婦として、コンビとして違和感が生まれてしまったこともありました」と語りました。また、「一度、嫁さんに離婚届を出されたこともあるんです」とも。「僕がハンコ押さなくて。その時、ふたりを止めたのは、子どもの存在もありますが、田舎の親の言葉でした。いつも、帰るたびに親が言うんです。『親の遺言だと思って聞いてほしい。夫婦末長く、いつまでも仲よくな』と。だから、女房が『もしも離婚することになったら、田舎のお父さんとお母さんにどう報告しよう』と。その言葉が、僕の中で夫婦の絆の始まりだったですね」と振り返りました。

走り続ける毎日のなか、花子に胃ガンが見つかり「僕らのバトルは終わった」と大助。「これではあかん、と。それより親が言ってくれたように、夫婦仲よく。これに勝るものはないんです。それからは、夫婦としてぼちぼち見つめ合うことができました」と当時を語りました。

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花子は、大助が病に倒れた激動の日々を振り返りました。「結婚30周年記念公演の『シャルウイスマイル』をやった次の年の2007年に大助が倒れ、2016年4月に結婚40周年記念公演『花咲村の妖精』をやらせていただいた翌年の今年、大助がこういう形になり、本当にすごいジェットコースターやなと思います。でも、それも神様の与えてくれた試練。また、それに打ち勝つだけの余裕も、神様が与えてくれたのだと思います」と目を輝かせました。

現在は、「今は本当にいい夫婦」だと語り、夫婦の楽しさを感じている最中だと話します。「今は精神的な夫婦になれて、いま初めて夫婦の楽しさというのを感じている最中です。そんな時に、ポンと温泉の源泉が湧き出たようにこの章をいただき、正直驚きで。自分たちが晩年の夫婦の形に入っている時にいただいた褒章なので、感無量です。うれしさと同時に責任感も、そういう形の漫才を続けていきたいなと思います」と改めて責任感も。

花子は、「大助くんが生きてくれててよかったわ。生命保険、2億円入ってますよ? でも、今年こそはそれいらんからと生きておいてほしいと思った。背中に厳しい傷があります。それを見るたび、生きるために傷つけてまで戦い、がんばったんやから、人生の元とらなあかんで、と。大助くんは、小さい頃も生活が大変やったから、大助くんが新幹線でグリーン席から富士山見ている姿を見るだけでもうれしいんです。大助くんが楽しいことをしてたらうれしいです」と受章を改めて喜びました。

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今後の挑戦を尋ねられた際は、「私はとりあえず、今年の女芸人No.1決定戦『THE W』にチャレンジしておりますので、優勝目指してがんばります。そして、今年の11月8・9・10日と、また岩手の大船渡に行かせていただきます。被災地の皆さんにも大助の病気のことで心配をおかけしましたので、今回はおめでたい報告をしたいです」と花子。

大助は、「漫才だけは表現できないこともあるし、漫才は笑っていただくのが一番で、なかなかメッセージを入れにくいんです。僕らはお芝居もやっていますし、一人芝居や、子どもたちとミュージカルもやっていて、その中にメッセージを入れていきたいですね。環境やふるさとのこと、忘れてはいけない美しい日本。僕は里山や鎮守さんが大好きで、そういう場所で育ったものですから、そういうお芝居もやっています。また、親子の理想の関係なども、親子で楽しめるわかりやすいお芝居をやっていきたいです。それが僕らの夫婦漫才の形になっていくと思います。そういうビジョンを今後完成していきたいですね」と語りました。

また、近頃注目を集める男女コンビについてエールを贈る一幕も。花子は、「男女でも夫婦でも、ものすごく期待しています。今は時代が違うから激しいことはいりませんが、『こうしたらかわいいコンビになるよ』とアドバイスしてあげたいですね。女性はかわいらしく、男性はスマートに。今の時代は女性が強いからね(笑)。それに、昔と違って女性でもやりやすい時代になっていると思います。やっぱり男女コンビが出てきたら、どうしても声をかけてしまいますね」と笑顔。大助は「こないだ、新山ひでや・やすこ師匠ご夫婦の漫才を見たときに、ふたりでニッコリ笑ったんです。それが本当によくて。僕らとまたパターンが違うし、僕らの大先輩ですが、夫婦がすごくきれいなんです。今、不景気ですから、定年退職したご夫婦が、新山ひでや・やすこ師匠ぐらい楽しく生きられたらいいのになと思いました。僕らにとっては『いい鏡が出てきはったな』と。僕らも目標にしたいと思います」と語りました。また、若い男女コンビについては、ぺこさんとりゅうちぇるさん夫婦を挙げ、「あのふたりは漫才をやっていないけれど、僕らから見たらまさに夫婦漫才なんです」と太鼓判。「あのふたりは本当にかわいい。ああいう人達がどんどん漫才で出てきはったらいいなと思います。僕らはそういう方たちの見本になれたらいいなと思います」と語りました。

最後に、お互いどのような存在かを尋ねられたふたり。花子は「私は、大助のことを漫才の相方と一度も思ったことはありません。つねに夫という感じ。舞台でも夫としゃべってるし、家に帰っても夫。そして今も夫です。それと、自分をいちばんわかってくれている人。"夫婦は史上最強の味方"というのといっしょで、夫は史上最強の味方だと思っています。絶対に助けてくれる。だから、私、彼に裏切られたら生きていかれへんと思う!」と断言した後、小さな声で「いや、生きていけるけど」とつぶやき、記者陣を沸かせました。大助は、「ベストマイワイフ、です」とのこと。「僕が脳卒中になった時、娘の肩を借りながら『意識を全部失うかもしれん。お父さんは、あなたとお母さんに出会えて最高に幸せ。我が人生に一切の悔いなし』と伝えて病院に行きました。その気持ちは今もあります。本当に、子どもと女房には頭が下がります」と語り、またも感激の涙をポロリ。花子から「どんだけ泣くの!」とツッコまれていました。

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紫綬褒章を受章し、ますますやる気をみなぎらせる宮川大助・花子の夫婦漫才を、今後も応援してくださいね!

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【宮川大助・花子】