上方落語界の最長老、笑福亭松之助が90歳にして初の著書『草や木のように生きられたら』を発売!
3月31日、上方落語界の最長老で明石家さんまの師匠でもある笑福亭松之助の初の著書『草や木のように生きられたら』が発売になりました。現在90歳の松之助が、幼少期からこれまでを振り返った「人生のこと」、中田ダイマル・ラケットの漫才を独自の視点で分析した解説や落語の手引きなどを収録した「芸のこと」、そして松之助の生活を綴った「日々のこと」の三章からなる大作です。初の著書について松之助にインタビューをしました。
--御本は、いつから執筆されたんですか?
芸能生活60周年記念(2008年)のとき、なんばグランド花月でイベントをやって、それから後に会社の方から「自分の歴史を書いてみたら? 本をこしらえては?」という話があったんです。経験のないことですけども、文章を書くのは好きなのでやってみようかと。ちょうど83歳でこの話があって、それから書き始めました。
--執筆にあたって、どういうところが困難でしたか?
初めてですし、ページ数も埋めないといけない。ページ数が一番気になりましたね。マネージャーが「A4で70枚は要る」と。で、70枚くらいたーっと書いたんですけど、あかんと言って戻されるところもあって。最終的に80枚は書かないとダメやということになりました。
--生い立ちから現在までを綴られていますね。
子供の頃のことって自分でも不思議なくらい強く印象に残ってます。父親のことも、けったいな父親で普通の親と違いましたから、日常のことなんかも強烈に残ってたんですね。自分でもよく覚えてるなって思いました。
--お父様は芸人のことを軽蔑されていると書かれていましたね。
当然ですよ、私、自分でも軽蔑してます。私の先輩もそういうことを言ってました。私が芸人になってから、夏に楽屋で裸でいたときに、年いった先輩が「ええ体してんなぁ。まじめに働いたらええのに」と言ってはりました。私、それを聞いて、あ、この人らは自分は道楽商売ということを自覚してやってはんねんなと思いましたもん。
--「楽悟家」と自称されていますが、そのこだわりとは?
今、落語家と名乗っている人と一緒にされたくないんですよ。俺は違うと。ただ、純粋な落語家ではありませんから、いろんなことをやってますから。それでちょっと引いた考えもあって。ほんで師匠の戒名をひっくり返して使ったんです。
--本では、お弟子さんの明石家さんまさんについても触れられています。さんまさんも昨年、還暦を迎えられました。今なお第一線でご活躍されているお弟子さんの姿をどうご覧になっていますか?
彼は天才です。誉めてるのと違いますよ。天才ですねん。何にも教えてないけど、できるわけでしょう? そらしょうがないですわ。私はあれ、ようしません。
--さんまさんが入門を希望されて、「センスがあるから」とおっしゃった。それに対して「ありがとう」とお返しされたとありますね。どういった状況だったんでしょうか?
それまでに弟子が仰山来て、辞めてましたから、大して意識していませんでした。これも辞めるやろうと(笑)。私が弟子になったときも、うちの師匠も同じようでした。私が弟子になる前に二人ほど弟子が来ましたけど辞めてしまいましたからね。師匠自身も諦めていたような状態で、私もじきに辞めてしまうやろうと思われてたから、名前をつけてくれませんでした。6月に入門して9月ごろでしたかね、「松之助という名前にしとき」。これで終わりですわ。
--師匠は運命を大事にされていると。
たくさん弟子がおっても、しょうもないやつばかりいたってしょうもないです。そうでしょう?(笑)。あれは日本一です。そういうことです。もう一人弟子がおるといっても息子ですからね。あの人(さんま)は早くから東京へ行ってますから会いませんし、僕が手紙を出してるくらいのことです。それでも向こうが非常に僕のことを思ってくれるようですね。"いい師匠やった"って思い出の中(笑)。
--今でも手紙のやり取りをされていて。
やり取りと言っても、"取り"はないですよ。"やり"だけ。一枚ももらったことないです。ただ、週刊誌で「私の宝物」という題でさんまが出ていて。見開きで一方は森田健作さんが刀を持って写っていて、一方がさんまで。杉本高文くんと私が書いた茶封筒を持っていたのが嬉しかったですね。彼は早くに東京に行ってしまったので、僕は手紙か何かを書かなかったら、"弟子、師匠"といっても上辺だけのことになってしまうんじゃないかと思いましたから。ですから、日常会話のようなことは書きません。自分が読んだり、観たりしたこと、感動したことを彼に伝えたりしていましたね。
--本を書かれたというお知らせは?
いや、照れくさいからしてません(笑)。
--この御本の中で、どのエピソードが印象に残りましたか?
すべてが印象に残っているから書いてるんです。印象に残っていないものは書いてません。父親なんかでも、けったいな父親でしたけど、素晴らしい父親だったと思います。昔の人間ですから、文字は書けないんです。だから、いつも小学生の私にハガキを書かせるんです。「一銭五厘で義理が果たせる」と。得意先に出すハガキを私に書かせます。新聞を読んでも字が読まれへん。だけど死亡欄を一番先に見るんです。ほんで「自分の得意先が亡くなったらじきにそこへ行かなあかん」と、そういうような教え方をしてくれました。ですから私は小学校1年生に上がる前から、平仮名でもええからとハガキばっかり書いてました。
--この御本は、どういった方に読んでもらいたいですか?
いや、読んでもらうのは恥ずかしい。曽野綾子さんが「書くということは自分を全部、さらけ出すことだから、非常に勇気の要ること」と言ってたのを読んだことがあります。ええかっこしたいところもありますしね、「何や松之助、この程度か」と思われるのもいややし。上手やと言われるのも何か照れくさい。何とも言えない気持ちですわ。今、ちょっとためらいの気持ちが(笑)。えらいことやったなぁと思ってね。しなかったらよかった。人が知ってもしょうがないから、自分の中に閉まっとく。自分の子供に知らせるぐらいでよかったのと違うかなって、そんな感じです。
--『草や木のように生きられたら』というタイトルは、どういった思いでつけられたんですか?
中に書いてあるんですよ。草や木は隣の木、前の木、横の木、そんなんに邪魔しないように、自分がその中をかいくぐって生きていくというのを何かで読んだんです。これがまた照れくさいけど、人を押しのけてとか、こいつを折って自分が行くとか、そんな気は全くないです。自分は自分の生きるところを見つけて行く。あんまり題が良すぎので、ほんまもんと違うんですわ(笑)。
--第二章では、漫才についても書かれていますね。
漫才のことを書いた本があるけど分かりにくいし、実際やってる人間が書いたものがないわけです。ここでは中田ダイマル・ラケットさんのネタを拝借しまして。もう耳にタコができるくらい聞いてましたから。また舞台も一緒にやってますから、「これはこういうことで」と一般に市販されている"漫才の書き方"というものより詳しく分かるんじゃないかということで書かせてもらったんです。
--ちょっとしたアドバイスもありますね。
畑違いのことをしてという思いがあるかもしれませんが、自分は漫才が好きなので。ですから、これは分かるように書いた方がええなと。これは誰も書いていない漫才の解説、分析。そういったものと思ってます。いつかまた(世に)出てくる人のための手がかりになればいいなと思います。
--再来年で芸能生活70周年を迎えられます。これからまた計画されていることはありますか?
気持ちを重んじたような落語本を会社から出してくれるようで、それに取りかかっています。それもまた誰かが「うん、なるほど」と思ってやってくれたらそれでいいです。私は、師匠の落語、師匠から習った落語だけは確実に残しておきたいと思いますので。
笑福亭松之助著『草や木のように生きられたら』
2016年3月31日発売
定価:1600円+税
発行:ヨシモトブックス
発売:株式会社ワニブックス