元日本軍海軍上等兵・土田喜代一さんが当時のペリリュー島での経験を語る! 小栗監督は「若い人に観て欲しい」と呼びかけ!! 映画『追憶』初日舞台挨拶
11月5日(土)、東京・東京都写真美術館ホールにて、映画『追憶』の初日舞台挨拶が行われ、小栗謙一監督、土田喜代一さんが登壇しました。
升本喜年さんの著書『「愛の手紙」~ペリリュー島玉砕~中川州男の玉砕』(熊本日日新聞社刊)が原案となっている本作。米国防省、米海兵隊歴史部、米国立公文書館に保存されていた膨大な映像と日本の自衛隊第8師団、NHKに残る貴重な資料によって、ペリリュー島の真実が描き出されています。
日米双方からの膨大な資料映像が観られる作品はこれまで前例がなく、歴史的にも大変意味のある作品に。美輪明宏さんによる劇中の語りも注目です。なお、本日登壇され、本作にも出演している土田さんは元日本軍海軍上等水兵で、昨年、天皇・皇后両陛下がペリリュー島へ慰霊に訪れた際にも来島されています。
上映後、まず舞台に現れた小栗監督は「昨年4月9日、天皇・皇后両陛下がペリリュー島に行かれまして慰霊された。その報道のすぐ後、プロデューサーの奥山和由さんからこの映画をつくろうと言われました」と、制作に至った経緯について説明。「映像資料はアメリカ国防総省の協力をいただいて、百巻ほどのフィルムすべてをお借りすることができた。驚くことに全てのシーンに記録が入っていたんです。つまり、何月何日、どこの海岸で誰が撮ったという記録がすべて残っていたんですね」とアメリカ側の資料の豊富さに驚きながらも、戦闘シーンの場面づくりには大いに役に立ったと話します。
また、「編集していて一番に感じたのは、戦場というのは用意周到に人を殺していく場なんだなと。私たち人間は生きる意味だけでなく、死というものにも意味を感じようとしますけど、それすらも与えてもらえないのが戦場だと強く感じました」と力強く発言。「戦争は人を殺す、敵を全滅させることが目的。そのために兵器をどんどん投入する訳ですけど、どれだけ兵器を投入しても全滅させることはできない。(それを示すのが)ご健勝でいらっしゃる土田さんの存在だと思います。昨晩、福岡から来ていただき、早い時間にも関わらず、会場へいらしていただいています。96歳の今も元気でいらっしゃる姿を、みなさまに観ていただきたいと思います」と話し、最前列で本作を鑑賞していた土田さんを呼び込みました。
2本の杖を使いながら自らの足で舞台へ上がった土田さんは、「今日はみなさん、ありがとうございました」と挨拶。「若い人は今、どんなふうに戦争を感じているのだろうか。当時、私は陛下のため、陛下のためと一生懸命がんばったものです。(ただその場に連れて来られて)ペリリュー島にいることも知らずにその場で死んだ戦友、(戦争が終わったことも知らず、同島で戦い続けていた)34名のほとんどが今はもう死んでしまった訳ですけど、陛下が慰霊のために島まで来られるとは思っていなかったと思います」と今は亡き仲間の思いを代弁しつつ、「戦死した方、そして自分の息子や家族はどうやって死んでいったのだろうと思っていた方々は、この映画を観て涙を流して"はぁ......我が親族にも見せたい"と思っているのではないでしょうか。そして、そういった家族の方々が(こういった作品がつくられて)どんなに喜んでいることか」と、戦死された方々の近親者の思いにも寄り添います。
自らが生き延びたことについて、「何回ももう駄目だと思っていたけれど、弾がひとつも当たらなかった。あの時、どうして弾が当たらなかったのだろうと思いますが、戦争の激しさを(後世の)みなさんに伝えて欲しいという何かしらの力が働いて、こうして日本に還って来られたのではないかなと思っています」と、戦争体験を伝えていくことへの使命を語りました。
土田さんの「戦争というものは、勝っても負けてもなんにもならない」という言葉に、小栗監督は「取材したふたりのアメリカ兵からも同じような話をいただきました。アメリカは戦争には勝ったけど、兵士達の心の中には未だにその時の苦しみがずっと残っていると言っていた」と同調。「土田さんがお元気でいらっしゃるのは、非常に嬉しいこと。戦争というのは全てを抹殺していく作業で、物量をかけて兵器を使って殺そうとするが、そうはしても生命はそう簡単に絶滅するものじゃないことを、身を以て舞台でお話してくださっている」と感謝しました。
土田さんからの貴重な体験が聞ける機会ということで質問を募ると、ひとりの女性が挙手。兄をペリリュー島で亡くしたそうで、「パラオへは何回も行きましたけど、こういうことを知ることができるチャンスはありませんでした。兄も母ももういませんが、最後に残った私がこういうお話を聞けて感謝しています」と静かに語ります。
35歳の男性は2年前、フジテレビで放送されたペリリュー島にまつわる特番で制作のお手伝いをしたそう。「米軍と最初に接触したのが、土田さんだと聞きました。なぜ米軍のところへ行ったんでしょうか?」と質問すると、土田さんは「機動隊が来るまで待とうという人もいれば、戦争が終わってるような気がするという者もいました。私は見張りをしていたことから、急に静かになったり、飛行機が飛ばなくなったりしたのを観ていたので、もう戦争は終わってるんじゃないかと思っていた」と返答。本当のことを知るには敵に聞いたほうがいいと思い立ち、島を走っていたジープを止めて運転手のアメリカ人に聞いたところ、「その運転手はアメリカと日本が戦争していたことすらすらなかった」とのこと。「(終戦して)1年8ヵ月も経っていましたし、34名が隠れている場所も言えない」という状況からアンガル島へ確かめに行ったところ、戦争が100%終わっていることを知ったそうです。
身振り手振りを交えて当時の状況を語る土田さんは「34名は生き延びたんだから、なんとか日本に還さないといけないということで私たちは還れました」と話しながら、「私が手を挙げたとき、(ジープを運転していた)アメリカ人はビックリしたらしいですよ」と笑いました。
最後に、小栗監督は「戦争映画にはお年寄りばかりが出てくることもあって、若い人は自分たちの問題として捉えられない。どうか若い人に、映画を観てくださいとお伝えいただければと思います」と訴えました。
映画『追憶』
製作:奥山和由
監督:小栗謙一
語り:美輪明宏
ピアノ:小林研一郎
原案:升本喜年(『「愛の手紙」〜ペリリュー島玉砕〜中川州男の生涯』熊本日日新聞社刊)
企画制作プロダクション:チームオクヤマ
制作:KATSU-do
後援:パラオ政府観光局
配給:太秦
製作:吉本興業
© 2015「追憶」製作委員会
公式サイト: http://www.tsuiokutegami.net
11月5日(土)より、東京都写真美術館ホールほか全国順次ロードショー!