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2017年1月10日 (火)

今宮戎神社「宝恵駕行列」にコンビ結成50周年の中田カウス・ボタンも登場!

1月10日、今宮戎神社の「宝恵駕行列」が行われ、今年コンビ結成50周年を迎えた中田カウス・ボタンも登場しました。

湊町リバープレイスでの本隊出発式に参列した中田カウス・ボタン。船で道頓堀へと移動し、メインステージへ向かいました。そこでご挨拶があり、「明けましておめでとうございます。50年を迎えまして、中田ダイマル・ラケット師匠にいつも言われていました。漫才顔というものがあると。どんな顔ですか?と聞くと、戎顔やと。そろそろそんな顔になってきたかなと自分では思うのですけど(笑)。今日は初めての参加で最後まで務めさせていただきたいと思います」とカウス。ボタンも「福をたくさんもらって帰りたいと思います」と「宝恵駕行列」を楽しみにしている様子でした。対岸に集まったファンの皆さんにも「おはようございます! よろしくお願いします!」と声をかけるカウス、温かい拍手をいただきました。その後、くす玉を割りや手締めも行い、「宝恵駕行列」に出発しました。

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なんばグランド花月前に移動したカウス・ボタンは、吉本興業グループを代表して乗り換え式に参列。乗り換え式の司会は、昨年、第一回上方漫才協会大賞を受賞したアインシュタインが務めました。

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乗り換え式では、大勢のお客様を前に「コンビを組んで今年で50年を迎えることができました。劇場の前から宝恵駕に乗ることができて、いい福をいっぱいもらって帰ります。劇場の中でおすそ分けします」とカウス。やがて六代 桂文枝が乗ったかごも到着。宝恵駕を盛り上げるべく若手芸人たちも多数登場し、大阪の手締めを行い、今宮戎神社に向けて出発しました。

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今宮戎神社に到着。拝殿で参拝し「宝恵駕行列」を終えました。

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宝恵駕に乗る前には、中田カウス・ボタンに改めてコンビ結成50周年について話を聞きました。初めてかごに乗るというふたりは、「戎さんにお祝いをしてもらったような、こいつは春から縁起がええという感じで。宝恵駕に初めて参加させてもらったんですけど、何とも言えない気持ちです」とカウス、ボタンも「いっぱい福をお分けします」と、ふたりとも顔をほころばせました。

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続けて「他人コンビで50年というのは、見えない力をいただいているように感じます。どちらが欠けてもいけないですし、また、周りの人間がびっくりするほどどっちも元気です。漫才を生んだ大阪で50年、漫才をやらせていただいて。その中で、若い子はどんどん育っていて。(1月9日に行われた『第二回上方漫才協会大賞』を)見ていただいたように、協会大賞の方でも、ベテランがちょっとビビっているのじゃないかと思うぐらい、若い子がどんどん増えてきて。これから先は若手も何か頼りがいのある先輩になっていただきたいと思います。さっきも言いましたように、うちの師匠がいつも漫才には顔があると。どんな顔ですかと言ったら、戎顔やと。戎さんのような顔にならないかんと言われたときに、師匠のダイマル・ラケットの顔をしげしげと見ましたら、本当に戎、大黒という顔で。ああいう顔になれたらといいなと思います。皺も縦じわはあかんど、横じわ、笑いじわをいっぱい作れというふうに言われておりました。そんな顔になっていけるように努力したいなと思います」と師匠との思い出も語るカウス。

漫才についてもカウスは、「劇場の方も毎年100万人以上のお客さんにお越しいただいて。『漫才のDENDO』というツアーで回っておりますが、どこも満杯で。これからはライブの時代かなと思います。漫才師はどんどん増えるんですが、漫才師が本職の漫才ができる場所があまりないので、そこは舞台であるとか、地方へ出向いて行く。体が続く限りですね」と意気込みました。ボタンも「いつまでこのおっさんらやってんねんって言われるぐらいやっていきますので」と熱意を示しました。

コンビ50周年の今年は、「漫才も基本に戻って初心を忘れるべからず」という1年にしたいとカウス。「基本はどうやったのか、そういうところに戻って、コンビを組んだ時のような気持ちでネタ合わせにかかっていきたい」と語りました。また、コンビを組んだ頃と今と、気持ちは変わっていないと続けます。「一日一生という言葉がありますが、その日その日、やっています。これだけ長くやってますけども、いまだにできるだけ朝いちに誰よりも早く劇場に、舞台前1時間半ぐらい前に入って、1時間ぐらいネタ合わせをして。ご先祖様にお唱えという感じでネタ合わせをやって、それから舞台に出る。いつも神聖な気持ちでやっています。楽なようでなかなか体力がいるんです(笑)」と、心境を語りました。

メモリアルな1年となる2017年。「師匠のダイマル・ラケットのネタをやってみたい」と抱負も。「漫才は継承ではなく、その時、その時でわっと受けて終わっていく。ちょっと儚い仕事なんですね。古典芸能はずっと継承していきますが。その中でも師匠の風邪のネタはずっと舞台でやっていて。舞台の大事なネタとしてやらせてもらっているんですが、もっともっと師匠のネタをやってみるべきだし、やらないかんネタがあります。そこに今年から挑戦といいますか、許しを得てダイマル・ラケット師匠のネタをやってみたいです」(カウス)と語りました。

【中田カウス・ボタン】