終戦72周年企画「平和への思いを紡ぐ、ペリリュー島の記憶」熊本、茨城、東京連携企画始動!
6月5日(月)昼、茨城県庁の記者クラブにて、ドキュメンタリー映画『追憶』と、漫画「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」共同企画・終戦72周年企画「平和への思いを紡ぐ、ペリリュー島の記憶」開催のお知らせと、熊本県、茨城県、東京都における連携、茨城県内のタイアップ発表の記者会見が行われました。
2016年、ペリリュー島の戦いをテーマにした映画『追憶』公開、漫画「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」が発表され、"戦争を知らない世代"が映画、漫画を通し"戦争を語り継ぐ"という共通点があるこの2作品は多くの注目を集めました。そして終戦から72年を迎える今夏、映画『追憶』DVD発売、漫画「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」第3巻の発売を記念して、終戦72周年企画「平和への思いを紡ぐ、ペリリュー島の記憶」の開催が決定しました。戦争の悲劇と、ペリリュー島の歴史を伝える為、熊本県・中川道之ギャラリーと、茨城県・筑波海軍航空隊記念館、そして東洋大学学国際地域学部国際観光学科・島川崇教授が共鳴し、東京、熊本、茨城の3都市にて今夏開催が実現した事の報告が行われる事が報告されました。
2015年4月9日天皇皇后両陛下がパラオ共和国ペリリュー島で戦没者を慰霊され、そのニュースをみた奥山和由プロデューサーからその日のうちに小栗謙一監督にも元に連絡があり、「ペリリュー島の記憶を映画にしたい」といわれたのが映画『追憶』の制作のきっかけ。小栗監督自身もこのニュースをきっかけにペリリュー島の戦い、歴史を知ったといいます。日本にはあまり資料が残っていなかったですが、米海兵隊歴史部、米国防総所蔵には多くの映像資料が保管されており、当時のペリリュー島を知ることができました。その中でやはり現在のペリリュー島を知りたいと思い現地に行った際、遺骨収集に訪れていた水戸二連隊ペリリュー島慰霊会・影山幸雄さんと出会いました。焼骨の場面を撮影できることになり、現在のペリリュー島の姿として映画の中に入れることができました。本作の制作に辺り、「戦争というものはどういうものなのか、戦場とはどういったことが起きているのかと忠実に描くこと」を気を付けたということです。
ヤングアニマル連載の漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」の編集者・高村亮さんは今年2月に、作者の武田一義さんと、ペリリュー島を訪問。「3巻の最後は玉砕を描くが、ペリリュー島では中川大佐が玉砕した地も訪れた」という。「戦争を知らない人が読んでもわかるように、心がけて描いている。10年後は戦争を知る人が少なくなってしまう。描かれていることがちゃんと嘘っぽくないか確認できる人がいなくなってしまうと、戦争を知らない世代が戦争を描くことのリアルが判定できなくなってしまう。今、この作品を書くということに意味がある。」と、武田さんの本作に対する思いを代弁し、本企画にたいする武田一義さんからのコメントも続けて代読されました。
「パラオ共和国ペリリュー島。第2次世界大戦中、この美しい南の島であった日米の激戦を知ったのは2015年4月、天皇皇后両陛下の慰霊訪問がきっかけです。両軍合わせて5万人の若者たちが命を懸けて戦ったということです。
「彼らはひとりひとりどのようにこの島で生きたのか?」決して戦史に詳しかったわけではない僕でしたが、調べれば調べるほど、想像すればするほど、この島のことを漫画で描きたい思いが強くなりました。しかしながら戦争の現実を作品として形にするまでにはいくつもの葛藤がありました。創意工夫が必要でした。
『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』この作品に取り掛かって2年が経ちますが、今も葛藤と創意工夫を重ねる毎日です。
この度、映画『追憶』との共同企画展が多くの方々のご尽力により開催できることに、感謝の思いでいっぱいです。ペリリュー島守備隊長中川大佐の故郷熊本で、戦死した大勢の若者の故郷である茨城で、東京では現在の若者である学生の方々の力を借りて。
戦争を知らない世代の僕たちから、戦争を知らない世代の皆様へ。この企画展が現代を生きる者同士、共に未来を考えていく一助となれば幸いです。」
(コメント全文)
映画『追憶』の配給会社・太秦の代表・小林三四郎は、「中川州男大佐の故郷・熊本では昨年公開され、ペリリュー島からの34名の生還者の1人である、土田喜代一さんが登壇してくださいました。こうして時間はかかってしまいましたが、水戸二連隊にゆかりのある茨城で公開される事はとてもうれしく、茨城、熊本の想いを繋げていくことができれば」と語りました。中川大佐の遺族・星田友子さん、中川澄子さんが経営する、中川道之ギャラリーでは漫画の原画展を開催。本企画に寄せる中川道之ギャラリーからのコメントを代読しました。
「おじたち戦没者の犠牲の上に日本の平和があり、この平和を守っていくために、一人ひとりが力と知恵を結集し、何ができるかを考えていきたいと常々、思っています。その意味で、このような企画が実現して、私たちも大変、感謝しています。映画『追憶』は私たちも観賞し、改めて戦争のひどさやむごさを感じました。この映画やこの度の漫画を通じ、若い人たちをはじめ、多くの方々に、ペリリュー島の戦闘、戦争について知ってもらうことを願っています。中川道之ギャラリーにもお越しください。」
筑波海軍航空隊記念館館長・金澤大介さんは「茨城にはかつて水戸二連隊の駐屯地があり、永井敬司さんはじめ多くの方がペリリュー島の戦いに行かれた。この事実を「知ってもらう事」、そして「知るきっかけを作る事」が、私たちが担う役目だと思っている」と、本企画への意気込みを語りました。茨城県内では、「水戸はじめ、永井さんの出身地・友部、オリンピック選手村連携協定を結んでいる常陸大宮市を中心に、映画『追憶』の県内10ヶ所の上映を予定している。漫画の原画展ではペリリュー島に行かれた方の遺品、写真資料を取り入れ、ペリリュー島の過去・現在・未来を知ってもらえるような展示を企画」しています。
昭和20年にペリリュー島から帰還した34名の陸海軍生還者の1人、元陸軍軍曹・永井敬司さんは、「亡くなられた方の為にも、後世に伝え語り継ぐ事は日本の将来につながる事だと思う。将来を担っていく方々が、ペリリュー島について知って伝えていく事と、末永く日本が平和である事を願っています。」と語りました。
ペリリュー島での遺骨収集、慰霊祭の開催している水戸二連隊ペリリュー島慰霊会事務局長・影山幸雄さんは、「40年前よりペリリュー島に遺骨収集、慰霊祭で訪れているが、戦友は少なくなり、遺族が中心となっている。高齢化が進む中、ペリリュー島に行けない方の為に、茨城の護国神社にて毎年11月24日に慰霊祭を開催している。」と現在の活動を報告。遺骨収集の活動をはじめた頃は、天皇皇后両陛下がペリリュー島に慰霊に訪れることなど考えたこともなく、2015年に両陛下の慰霊によりペリリュー島がひろく知られる事になり「戦没者の方、ご遺族の方にとっては、とてもありがたい事と感じている」と語りました。
最後に小栗謙一監督から「私がまだ幼い頃(昭和20年代)は、まだ東京の町には傷痍軍人もいて、自分達もまだ豊かな暮らしはしていなかった。どこか戦争というものが残っていた時代だった。戦争は文化も人も全てを破壊してしまう。戦争という過ちを繰り返さない為にも、私たちにいま伝えられる事はあると思う。」と語り、記者会見を終えました。
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映画『追憶』過酷な戦いゆえに今まで語られる事がなかった1944年ペリリュー島の戦いを、日米双方からの膨大な資料映像により克明に描き出した渾身のドキュメンタリー映画『追憶』(2016年11月5日公開)。当時、守備隊を指揮した中川州男大佐が妻に宛てた手紙、元日本兵、アメリカの元海兵隊兵士、島民の証言により普遍的な家族の愛、国を超えた平和を祈る思いが、戦争とは何かと問いかけます。8/2(水)DVD発売。
漫画「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」 第46回日本漫画家協会賞【優秀賞】受賞!
1944年、夏。太平洋戦争末期のペリリュー島に漫画家志望の兵士、田丸はいた。そこはサンゴ礁の海に囲まれ、美しい森に覆われた楽園。そして日米合わせて5万人の兵士が殺し合う狂気の戦場。当時、東洋一と謳われた飛行場奪取を目的に襲い掛かる米軍の精鋭4万。迎え撃つは『徹底持久』を命じられた日本軍守備隊1万。祖国から遠く離れた小さな島で、彼らは何のために戦い、何を思い生きたのか――!?『戦争』が『日常』にあった時代、若者が見た真実の記録――。青年漫画誌「ヤングアニマル」(白泉社)にて連載中の「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」。単行本発売以来、新聞各紙でも取り上げられた話題作。第20回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品。
7月28日(金)より漫画「ペリリュー-楽園のゲルニカ」原画展開催!
8月1日(火)より映画『追憶』茨城・公開/熊本・凱旋上映決定!