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2017年6月21日 (水)

フットサル選手 永井義文が現役を引退! シュライカー大阪への想いや今後の活動をインタビュー

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6月18日(日)、住吉スポーツセンターで開催されたFリーグ シュライカー大阪ホーム開幕戦 「DUARIG Fリーグ2017/2018 第2節vs.府中アスレティックF.C.」試合終了後、永井義文選手の引退セレモニーが行われました。

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永井義文選手は、セレッソ大阪下部組織で培った技術力と稀有なフィジカルで、2008年、大学在学中からシュライカー大阪の主力選手として活躍。フットサル日本代表として国際大会で活躍する中、2014年には単身イタリアへ渡り、イタリアフットサルリーグ セリエA2「ASD FUTSALISOLA(フットサル イソラ)に在籍。リーグ戦14試合に出場して10得点を挙げ、現地イタリアからも高い評価を受けるピヴォ(サッカーでいうフォワード)として活躍しました。2015年に再びシュライカー大阪へ戻り、2016-2017年シーズンはFリーグ優勝、フットサル日本選手権優勝の2冠獲得に主力として貢献しました。しかし、2017年4月に引退を決意。今後はフットサルを広める活動や、指導者という新たな道へ進みます。なお、実の弟はJリーグ 名古屋グランパスに所属する永井龍選手。兄弟でフットサル界、サッカー界を盛り上げてきました。

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試合の熱気が冷めやらぬ中、引退セレモニーが始まりました。大きな拍手で迎えられ、ユニフォーム姿でコートに姿を現した永井選手。サポーターやファンの皆さん、そしてチームメイトに一礼し、マイクの前に立ちました。「緊張して、頭が真っ白になると思ったので」と、その手には、チーム関係者の皆さん、チームメイト、スタッフの方々、サポーター、ファン、スポンサーの皆さん、そしてご家族への感謝の気持ちがしたためられた手紙が。

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「Fリーグ シュライカー大阪 永井義文にかかわるすべての皆様へ」とし、感謝の手紙を読み上げました。「5歳から始まった僕の競技人生をふり返ってみると、いつも誰かに支えられてきました。何度も何度もケガをして、皆さんにたくさんのご心配をおかけしました。ケガをするたびに『またケガか』と自分が嫌になる時がたくさんありました。でもそんな時、いつも僕を支えてくれたのが、ファン、サポーターの皆様、スポンサーの皆様...」と、ここで胸にこみ上げるものがあったのか、言葉に詰まる永井選手。客席から「がんばれ!」と声がかかり、永井選手の背中を押すかのような大きな拍手が起こりました。「支えてくれたのが...家族、友だち。そしていつも一緒にいたチームメイトでした。どんな辛い時でも励ましてくれるチームメイトに支えられ、立ち止まりそうになった時は、ファンやサポーターの皆様の応援に、何度も背中を押してもらいました。本当にありがとうございました」とすがすがしい表情。最後に「僕の競技人生は、最高に幸せでした。本当に、本当にありがとうございました。そしてこれからも、シュライカー大阪の応援をよろしくお願いします」と締めくくりました。

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大きな拍手に包まれて、深々と一礼。その後、この日は父の日ということもあり、永井選手のお父様、お祖父様から花束の贈呈があり、永井家三世代での記念撮影。ファンやサポーターの皆さんからの"永井コール"に包まれるなか、チームメイトも永井選手の側に駆け寄り、握手を交わしました。そして胴上げ!

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セレモニーの後も、客席を回って皆さんとハイタッチ。労いの言葉をかけてくださる温かいファンやサポーターの皆さんにひとりずつ向き合い、永井選手からも直接、皆さんに感謝の言葉を伝えていました。

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セレモニー終了後、25年にわたる競技人生と、これからの展望を永井選手にうかがいました。

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−−−25年にわたる競技人生、シュライカー大阪では9年間ご活躍されました。現役時代をふり返られて、いかがでしたか?

永井 正直、いろんなことがありました。シュライカー大阪はサテライト(1期生)から加入しているので、生え抜きという自覚もあったし、このチームに貢献したいという想いは強かったです。しかし、2014年にイタリアへ行くまで、目に見えた結果を残すことができませんでした。日本代表選手に選出されるなど、そういう形では恩返しができたのかもしれないけれど、優勝ができずにいました。ここで僕がPKを決めれば優勝が決まるという試合でPKを外してしまい、優勝を逃してしまったり、ケガもあったりして、結果として貢献できない中で、力をつけたいという一心でイタリア行きを決断しました。

−−−結果的に、2017年はFリーグ優勝、フットサル日本選手権優勝に貢献されました。

永井 イタリア行きを決心したのは、日本代表での試合で外国人選手相手に戦ったり、Fリーグでもトップレベルの外国人選手が次々と活躍する中で、自分のレベルを上げるなら海外だと思ったからです。毎日外国人選手と競う環境に身を置いて、シュライカー大阪に帰ってきたい、恩返ししたいという気持ちが大きかったですね。だから、2冠できたときはやっと恩返しができたと思いました。チームに貢献できたのは本当によかったです。一方で、やはりケガにはずっと悩まされてきたなというのはありますね。

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−−−そんな中、新たな道へ進む決意をされました。今後はどんな活動を?

永井 フットサル界、サッカー界に貢献したいという想いが強いです。もっとシュライカー大阪を、フットサルを、Fリーグをいろんな方に知っていただきたいので、普及活動には力を入れていきたいです。先日も、イオンモールのイベントに出演させていただいたんですが、フットサルを知らない方々にお笑いを通してフットサルやシュライカー大阪を知っていただくいい機会になりました。レイザーラモンRGさんが「フットサルあるある」を歌ってくれたり、芸人さんにフットサルを実践していただいたり。芸人の皆さんがうまく笑いに変えて盛り上げてくださるので、僕も安心して自分の想いをお客さんに伝えることができました。フットサルは室内ですし、サッカーと違ってコートが小さいので、お笑いとはマッチしやすいなと思いました。

−−−そうしたイベントをきっかけにフットサルを始めるお子さんもいるかもしれませんね。

永井 そういう機会はありがたいですね。そしてもうひとつの道は、指導者です。これから、指導者としてのスキルをもっと上げていきたいと思っています。フットサルに興味がある子どもたちはもちろん、トップクラスの選手も指導していきたいし、数年後はトップキャリアの監督を目指しています。具体的に目指す時間をいただくために、30歳はまだ若いと言われますが、だからこそこのタイミングで現役選手を引退したという部分もあります。経験と実績を積み上げて、監督のキャリアを重ねるならシュライカー大阪で、と思っています。僕の一方的な想いかもしれませんが(笑)。

−−−シュライカー大阪に監督として戻ってこられたら、きっとファンやサポーターの方も喜びます。

永井 ファンやサポーターの方々に恩返しできるようになりたいですね。Fリーグが始まって、まだ10年ということもあり、フットサル界には引退してセカンドキャリアを積み重ねてきているケースがまだ少ないのが現状です。僕がいろんな形を見せてものさしになることができれば、若い子もフットサル選手を目指すと思うし、引退した後もこういう活動ができるんだなと知ってもらうことができるのかな、と。選手時代はプレーする姿を見ていただいていましたが、これからは違った形でも見せていけたらと思います。

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