第11回大阪アジアン映画祭スペシャル・プレゼンテーションにて『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』を上映、中島貞夫監督のトーク会も開催!
京都において、映画のキャリアを半世紀以上にわたり積み重ねてきた中島貞夫監督が、時代劇を内部から考察し抜き、京都の映画を特徴づける本格派ドキュメンタリーを発表しました。それが『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』。3月10日には、第11回大阪アジアン映画祭スペシャル・プレゼンテーションにて上映され、中島貞夫監督を迎えてのトークが行われました。トークでは、『時代劇は死なず ちゃんばら美学考』の字幕監修を担った上倉庸敬大阪大学名誉教授も登壇されました。そして、上倉さんのナビゲートのもと、時代劇やちゃんばらに関する中島監督の思いを聞きました。
「昭和20年代は非常に日本映画が芳醇だった時代。日本の映像技術も含めて、世界中が日本ってすごいなと思っていたんですね。そういう時代を作り上げていった昭和20年代は、戦前の草創期に関わった人たちが戦後、全く戦前を知らずに出てきた連中と見事に一緒になった。演出もそうです」と戦後の日本映画史を語る中島監督。
その映画史に沿って話題は、日本の時代劇が下降線の一途辿っている中で出てきたクエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』(2003年)について。上倉さんが、出演された千葉真一さんのちゃんばらシーンの印象的なエピソードを聞かせてくださいました。そして話題は「なぜ、時代劇が下火になったのか」。そこには生死感の問題が漂っていると中島監督。
「これは戦後日本の大きな流れなんだろうけども、ドラマの中の死という問題がありました。今、若い人たちが刀に魅入られているようですが、確かにそれだけの魅力が日本刀にあります。日本刀を武器にして戦う。そこには残酷で野蛮だという以上に恐怖を感じたと思う。だからちゃんばらをやっちゃいかんと。これはこの作品を作る上で非常に重要なキーワードです」。
"死"を避けたいという風潮が戦後、強くなっていく中で、「それでも黒澤明監督、小林正樹監督の映画は、主人公が絶えず死と向き合っている」と上倉さん。それは日本映画を支えた京都と東京の製作現場でも一緒だったのですか?と中島監督に尋ねると「ちゃんばらは変わりませんね」と中島監督。「日本刀を持つという特殊な形態、そこに日本人の死と向き合う姿勢を感じさせるんです。また感じさせることができるということが、一つの非常に大きな要素になっています。ちゃんばらというのは刀と刀を交えるというのが大前提にありますが、それをいかに武器として戦うと面白いか、ハラハラドキドキするような様々な要素が出てくるんです」。
近年、ワイヤーアクションや特撮など、大掛かりな見せ方がある中で、なぜちゃんばらなのか。その視点については、「刀を持って戦うというのは、本来だったらあれだけ振り回すにはものすごく鍛錬を積まないとできません。それを大前提として、刀を持って人間ができる精一杯の戦い方、そこに感動が生まれるんです」と中島監督。ワイヤーアクションや特撮のような驚きはないものの、視覚的な面白さや、登場人物と対峙している自分の感情が揺り動かされるからこそ、感動が生まれるのだのことでした。
トークでは他に、会場のお客様からのご意見をお尋ねする時間もありました。お客様は、このトークのご感想などを直接、中島監督や上倉さんにお伝えするという貴重な機会にも恵まれました。
最後に中島監督が「次にちゃんばら映画を作ったとして、見てやろうという方はどれくらいいますか?」とお客様に尋ねると、会場ではほとんどの方が手を挙げられました。その光景に、「次はちゃんばら時代劇を」と意気込まれました。