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2017年11月30日 (木)

間寛平が高校時代を過ごした柏原市の「かしわら笑顔大使」に任命!

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このたび、間寛平が大阪府柏原市の柏原市長及び柏原市議会の両者から「かしわら笑顔大使」に任命していただくこととなり、11月30日(木)に会見を行いました。

柏原市は、寛平が通っていた柏原高等学校(現・東大阪大学柏原高等学校)がある、高校時代を過ごしたゆかりの深い場所。最近では間寛平主催の「みちのくマラソン」に柏原市の各中学校の生徒会長が参加し、柏原で一緒に成果の報告会を行うなど、柏原市を盛り上げてきました。これからは「かしわら笑顔大使」として、来年度に市制60周年を迎える柏原市をより笑顔あふれる街にするために、間寛平から楽しい企画の提案をしていきます。この日、登壇したのは「かしわら笑顔大使」に任命された間寛平、冨宅正浩柏原市長、乾一柏原市議会議長。司会・進行はアインシュタインが務めました。

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まずは、冨宅正浩柏原市長からご挨拶がありました。「柏原市は皆さんがご承知おきのとおり、山と川に囲まれた自然に恵まれた町です。その山ではブドウが名産でして、ワインの宣伝もさせていただいています。しかし人口減少も始まっており、そうしたところでこれからますます賑わいを作りたいと考えていました」。そんな折、寛平の「かしわら笑顔大使」の話が持ち上がったそう。「これから柏原市をもっと発展させ、元気で笑顔のあふれる町にしていくためには、寛平師匠の力をぜひともお借りしたいと思っています」と語りました。

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続いて乾一柏原市議会議長よりご挨拶。「寛平さんは皆さんがご存知のとおり、長く人気タレントとしてがんばっておられ、またマラソンを通じてタフにがんばっておられます。我々柏原市にとっても、『かしわら笑顔大使』に就任していただき本当にありがたく思っています」とのこと。また、寛平の母校である柏原高等学校についても触れ、「柏原高校が甲子園に出場した時は応援に来られて、その時ちょうど私も応援に行っていました。そんな形で、非常に柏原にゆかりのある寛平師匠に心からお礼申し上げます」と寛平に改めて感謝の気持ちを伝えました。

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続いていよいよ「かしわら笑顔大使」の任命式です。寛平は任命状を受け取り、背中に「柏笑」と描かれた、ブドウ色の法被を羽織って満面の笑顔!「何があってもずっと笑っときましょ!」と盛り上げました。

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「かしわら笑顔大使」に任命された寛平から改めて挨拶がありました。「柏原は僕が高校の時、野球部で、先輩に柏原の山のブドウ畑に連れて行かれて、もうしごかれて、しごかれて。本当にしごかれました。暗くなるまでしごかれて、それで最後に先輩が『やっと終わったな。ブドウとってこい』と...」とふり返り、記者陣を沸かせます。「本当にね、ブドウがいっぱいなってたんです。ブドウ食べながら野球の練習したのを思い出しますね」と懐かしそう。そうした思い出がある場所での「笑顔大使」だけに気合十分。「何があっても笑っています。柏原市の人もみんな笑っておきましょうね。例えば肩がぶつかっても笑っておきます。笑っていたらなんでも解決します。僕も笑顔でがんばります」と意気込みを。

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来年、平成30年に市制60周年を迎える柏原市。冨宅市長から、60周年を盛り上げるための事業が説明されました。「現在、市民の皆さんも巻き込んで、柏原市市政60周年記念事業計画策定委員会を作らせてもらい、たくさんのアイデアを集めているところなんです」。そのひとつとして、柏原市を走る循環バスをラッピングして柏原市60周年をPRする予定だといいます。「せっかく寛平師匠に『笑顔大使』になっていただいたので、いろんなアイデアを出していただきたいと思います」と切り出すと、「僕は柏原市のために、ひとつだけすでに考えている案がある」といいます。

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その案とは、「僕の顔でポスターを作って、町中に貼り付けて、自由になんぼでも落書きできるようにする」というアイデア。感心した表情を見せるアインシュタイン・河井も「今、SNSがありますから拡散していただくこともできますもんね」と後押し。冨宅市長は「それ、いいじゃないですか! それ、やりましょう」とすんなり決まり、思わず河井も「そんな簡単に決まっちゃうんですか!?」と驚いていました。すると寛平から早速「どんな格好でやります? 杖を持った爺さんの格好とか、引きづり女というのもあるんですけど」、「何枚、作ります?」、「ポスター、いつできます?」と、どんどん提案。河井が思わず「記者会見でそんなに詰めていきます!?」とツッコむほどの勢いです!ポスターを貼りだす時期については、「準備があるので、来年のGWまでには」と冨宅市長が言うと、「遅い! すぐやらんと」とあくまでも前のめり!

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記者陣からの質疑応答を受けて、高校時代の思い出を話すひと幕も。「実は"間寛平"という名前は高校2年生の時に、僕の隣に座っていた奴に付けられたんです」と言います。寛平の名付け親はカワニシくんという名で、カワニシくんはなぜか間少年のノートや教科書に「寛平」、「寛平」と落書きし続けたそうです。あだ名の由来は寛平自身も「わからへん」のだとか。寛平が新喜劇に入団した時、「お客さんを場内放送でも笑わせよう」という一心から、「ふんどし締めお」という芸名を付けたそうですが、当時の社長から「誰や! こんな名前付けたんは!」と叱られ、カワニシくんから付けられた「寛平」という名を付け、「だから柏原高校にはすごく感謝してるわけや」と明かしました。その後再会する機会があり、当時カワニシくんは南海電鉄の運転士として働いていたそう。「お前に寛平と付けてもらったんや」と感謝の気持ちを伝えると「忘れてるわ...」と名付けたご本人は覚えていなかったというオチも。

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「先ほどのお話の、ブドウをとるのは日常だったのですか?」という質問には、「50年以上も前のことですよ! 腹が減って仕方がない時期でしたから」とすでに時効であることを強調!? 寛平が当時の思い出を語っていると、「それ、もしかしてうちの近所ちゃいますか?」と冨宅市長。冨宅市長のご実家はブドウ農家だそうで、寛平が当時の思い出を詳しく話すうち、「ひょっとして、うちのをとってはったんちゃいます?」とまさかの疑惑が浮上!? お腹を空かせた寛平少年のお腹を満たしてくれたブドウに恩返しするために、「間寛平かしわら笑顔大使によるブドウ狩りツアー」というアイデアも飛び出していました。

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これから柏原をもっと笑顔にするために奮闘する、間寛平かしわら笑顔大使の活躍にぜひご注目ください!

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【間寛平】【アインシュタイン】