3月19日、「八天改メ七代目月亭文都襲名披露公演」が、大入り満員のなんばグランド花月で賑々しく開催されました。
月亭方正が本格的に落語家として活動を始めるなど、嬉しいニュースが続く月亭八方一門。
そんな中、この襲名は最大の慶事といえます。
「月亭文都」は、上方落語を代表する由緒ある大名跡。特に二代目・桂文都は、初代桂文枝門下の四天王と称され、
亭号を“月亭”と名乗って以後も上方落語界を牽引し続けました。
しかし、“文都”の名前は五代目以降は東京へ移り、初代から“月亭”“桂”“立川”と亭号も変遷。
そして、東西の落語家たちによって受け継がれてきた大名跡が、68年を経た今、上方に戻ってきました。
しかも、「月亭文都」の名が復活するのは、実に113年ぶりのことです。
一番手で登場したのは月亭八光。
ところが、声がいきなり裏返ります。
実は、昨晩稽古をして声を飛ばしてしまったのだとか。
彼は稽古熱心な文都のエピソードを明かし、「動物園」を披露。
さらに、師匠の月亭八方は、「黒田節」を踊ったり、長唄を披露したりと、独自のアレンジを加えた「稽古屋」で沸かせました。
続いての桂文珍は、鉄板のマクラから「世帯念仏」へ。
暇つぶしに仏壇の前で念仏を唱えるお父さんが、次々と珍妙なぼやきを繰り出します。
桂ざこばは、高座に座るなり「孫」を歌い始め、そこから自身の孫のやんちゃぶりに怒りを爆発!?
本音全開の「ざっこばらん」に、客席は大爆笑となりました。
仲入り後は、豪華な布陣による口上。
舞台中央の七代目月亭文都を挟む形で、上方落語界の重鎮がズラリと居並びました。
司会の八光から紹介され、まずは新・文都の師匠である月亭八方がご挨拶。
「八天改メ七代目月亭文都が私の元に参りましたのは、
27年前の3月16日でございました。
それからコツコツと努力をし、毎年独演会を開き、25周年記念には25日間連続の公演を行うなど、本当に頑張っておりました。
が、私から見れば地味やなぁ、あんなにやってるのにこのままかなと。
しかし、数年前から文枝一門の大名跡であり月亭の祖である、月亭文都復活が私の夢でございました。
その夢を叶えるためにも、地味な八天の努力を何とか皆さんに見ていただきたい。
そう願いまして、六代文枝会長に相談をしながら、先代の文枝一門の皆様方からもご理解をいただきました。
そして、ここに並ぶお師匠さん方、また関係各位のお力を借りまして、今日、七代目月亭文都を襲名することができた次第です。
まだまだ地味で陰気ではございますが、どうかこれから七代目月亭文都をご支援いただきますよう、お願い申し上げる次第でございます」。
続く上方落語協会会長の六代桂文枝は、
「文都という名前は文枝一門にとりましても非常に大きな大事な名前でございます。
その大きな月亭文都という名前を113年ぶりに復活していただいて、我々も非常に喜んでおります。
この名前を大きくして、我々一門のためにも頑張っていただきたいと思います。
師匠の方からは随分『暗い暗い』という話が出ておりましたが、私から見ましたら非常に明るい、素晴らしい人です。
お顔は、どちらかというと“にぬき卵”みたいな(笑)。
たいへんチャレンジ精神があるといいますか、私がやっております東京の演芸番組に文都として出てもらいましたが、
その時に新作落語をされました。これがまた、よう分からんで(笑)。
しかし、果敢にチャレンジする気持ちが、文都という人をひっぱっていくんじゃないかと思います」
と、七代目への期待を語りました。
さらに、桂米朝一門を代表して桂ざこばがご挨拶。が、いきなり「何代目?七代目?セブンやな」。
そして、自らの弟子が近年襲名したとあって「襲名というのは、挨拶回りに師匠が付いていかなあかんので大変なんです」と言いつつ、
「そんなことより、今日はパンフレットを見て、私は少し気分が悪いんです。なんでかというと、
『天災』というネタが好きでと書いてありますが、あのネタは私が弟弟子の桂吉朝に教えたんです。
彼は、そこへ習いにいっとるわけです。なぜ私のところへ習いに来ないのか。その理由を述べよ!」。
通常の襲名披露興行では主役は何もしゃべらないのですが、あまりの迫力に
「何かの間違いやと思います。またざこば師匠のところに習いに行きたいと思います」
と文都。
すると、師は「いつでも来てください」。
さらに「襲名はなかなか大変でございます。文枝会長は三枝という名前を大きくして、新たに文枝という名前を継ぎました。
私も朝丸という名前を頑張ってそこそこにして、ざこばという新しい名前になりました。
せっかく売った名前ですから、それは怖いです。そこへいくと、八天てな名前は誰も知りません。
スコンと変わったらしまいです。まぁ、頑張って下さい」
と、強烈ながらも魂のこもったエールを送りました。
文都が公私ともに世話になっているという桂文珍は、
「文都さんは、ほんとにお稽古が好きで、私の家へ稽古によくお越しになります(笑)。
落語が好きで好きで、ネタを一生懸命覚えはって、自分のものにしていく。
名前を憶えてもらおうと「今日ご覧にいただいたら、皆さんのご発展(八天)間違いなし」と言うてはったのが、
ムダな努力になってしまいました(笑)。
しかし、落語のこういうことを調べて欲しいというと、ほとんどすぐに答えを出してくれます。
物知りで引き出しが多くて知識人で。そのかわり薀蓄が多いんです。私は彼のことを“一級薀蓄士”と呼んでいます。
もう少し言葉を整理すると、良くなるのかなと。
作家の皆さんとも仲良うさしていただきまして、たくさんの新作を作り上げたり、
いつも私の独演会では笛を担当していただいたり。文都になったら、そういう仕事はしてくれはれへんと思うので、
今、新しい笛の名手を探しています」。
続いては、桂南光。
「文都さんは元々、噺家を志してうちの師匠の桂枝雀の元へ参りまして。
その頃、師匠は弟子がおったもんですから、『べかこ(南光の前名)のとこへ行きなさい』。
私はまだ内弟子を出て10年目ぐらいで、とても弟子なんかとれません。
でも、半年ぐらい、落語会が終わって楽屋を出たらおるんですよ。今でいうたらストーカーでしょ。
ごめなさいと言うと、彼は凄い熱意があって、それから桂米朝師匠とこに行って、桂雀三郎君にも断られて、
そして月亭八方さんのところへ行ったんです。それをある時に聞いて、
『えっ!よりによって、あのスキャンダラスな月亭になぜ行ったのか』(笑)。
しかし、そこで勉強して勉強して、今は古典で100席以上のネタをやるわけですからね。
ただ、八方さんは人間的にはとても良い人で芸人としても面白いですけど、責任感のない人です。
素晴らしい八天君をどうすんねんと。そう思てたら、数年前に実は月亭文都という名前を襲名させたいというのを聞いて、
私はほんとに嬉しかったです。八方さんを見直しました!
東京にいってた文都を大阪に取り戻していただいて、これから七代目としてますます大きくなられることを、心から願っております」。
口上の結びは、笑福亭仁鶴。
「七代目月亭文都君から、1週間ほど前に手紙が来まして、
『落語家になる前から、仁鶴師匠を一番尊敬してました』。
尊敬してんねんやったら、何でうちに来えへんのやと(笑)。
とりあえず勉強して、師匠に認められて、七代目文都を継げと言われたことは、日ごろの修練の結果が出たということでございます。
これからまた、この名前を大きくするために、今まで以上に頑張らないかんということですね」
と締めくくりました。
各師匠方の口上の間中、七代目文都と共に、終始頭を下げていた師匠の八方。
時折顔を上げた時の、感無量の表情が実に印象的でした。
そして、最後は仁鶴師匠の発声で「大阪締め」を。お客さんも一緒になり、新・文都の門出を祝福しました。
この後に登場した桂南光は自らの襲名公演を振り返り、
「あの姿勢が一番しんどいんですよ」と、口上でずっと頭を下げていた文都を気遣いました。
そして、桂米団治襲名時の爆笑エピソードを満載にした「襲名譚」を口演。
続いては、自身も襲名披露公演真っ最中の六代桂文枝の登場です。「ぼやき酒屋」では、
家族に相手にされない酔っ払い男の切ないぼやきが、笑いと共感を誘いました。
トリは、いよいよ七代目月亭文都の出番です。
「待ってました!」の声がかかると、ファンの皆様への感謝の気持ちを述べ、
「『あと十年早かったら俺が襲名してた』という師匠の志を、私が名代として継がせてもらいます。芸道に精進し、
平成の文都としてさらなる発展と飛躍をしていきたいと思います」と襲名の決意を語りました。
この日の演目は、「鷺とり」。
鳥を捕まえ金儲けを目論む男が、あの手この手を考えていくのですが…。
吉本新喜劇の人気者を登場させたり、自らの腕を使って地理を説明したりと、
独自の演出も交えながら緻密な語り口と瑞々しい発想で、能天気な男を明るく爽やかに演じ切りました。
語り終えようやく安堵の表情を見せる文都に、割れんばかりの拍手と歓声を贈る満員のお客さん。
襲名披露公演は、最後までお祝いムード一色の温かい雰囲気に包まれ幕を閉じました。
七代目月亭文都の今後の活躍を、どうぞお見逃しなく!
「八天改メ 七代目月亭文都襲名披露公演」プログラム
月亭八光「動物園」
月亭八方「稽古屋」
桂文珍「世帯念仏」
桂ざこば「ざっこばらん」
仲入り
口上
<出演>笑福亭仁鶴、桂ざこば、桂文枝、桂文珍、桂南光、月亭八方(司会・月亭八光)
桂南光「襲名譚」
桂文枝「ぼやき酒屋」
七代目月亭文都「鷺とり」